帽子と縁遠い人生だったのは
帽子を被ってこない人生だった。キャップも、麦わら帽子も、ニット帽も、カンカン帽も、まったくもって縁がなかった。
暑い夏、私の頭はちりちりと太陽に焼かれた。たまに脳天を触ると、じゅじゅっと音がしそうなほど、熱くなっていた。脳天で、軽く肉がやるんじゃないか? とまで思った。
寒い冬、私の頭はかっさかさに渇いた空気に野ざらしだ。脳天も耳もキンキンに冷えた。暖かい部屋に入ると、温度差で耳は真っ赤になった。「ニット帽被ればあったかいよ」と何人かの人の言われた。
どうして私の人生には、帽子がなかったのだろうか。
そう考えて思い出したのが、小学生のときに被っていた赤白帽子のことだった。
知ってます? 赤白帽子。片面は赤地の生地になっていて、くるりと裏返すと白地の生地になっている。運動会では簡単に赤組と白組が作れるし、体育の授業でのチーム分けにも役に立つ、一石二鳥帽だ。
で、男子はこれを色が半々になるようにして「ウルトラマン」とかやるんですよ。知ってます? 赤白帽子ウルトラマン。
この赤白帽子の思い出。それは小学生のとき、体育の授業で起こった突然の出来事だった。
「なんか、帽子に合ってないね」
確か私は、そんなふうに言われたのだ。正直、誰に言われたのかも、どんな文脈で言われたのかも、なぜ言われたのかも、全然覚えていない。ただ、そう言われたことだけを覚えている。
がーーーーん、ときた。きっと赤白帽子だけのことを言われたはずなのに、がーーーーんときた衝撃で私には「帽子全般」に翻訳されて聞こえていた。
「私って、帽子似合わないんだ」そう思った。
たぶん、それが引っかかってるのかもしれない。
そのあとも何度かキャップやニット帽も被ったことがあるけど、自分の気持ち的に「似合ってないんだろうな」と思ってしまって、その気持ちが重かった。帽子を被ってる間、私はその言葉も被っているような気がしていた。そのときに周りにいる人たちは何も言っていないし、何とも思ってないだろう。でも、人が言わないからいい、という問題ではなかった。私が、だめなのだ。
それ以来、帽子を被らなくなってしまった。私の頭は常に野ざらしだ。ごめんよ。
いつか、心優しき誰かに「帽子、似合うね」と言ってもらえたら、私はその言葉を抱きしめて、帽子を被れるようになるかもしれない。
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。