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字を書く感覚は忘れてしまうけど、手紙は書けるようになった
手紙を書こうとSARASAのボールペンを握ったとき、全然しっくりきてない自分がいた。
なんだこの違和感。
〇〇さんへ、と書き始めてから「あれ、どうやって書いていたんだっけ……」と思った。手紙の書き方を忘れたわけじゃない。それよりも前、字を書くことが久しぶりすぎて忘れたような感覚になったのだった。
パソコンとスマホが、生活、仕事の中心になってから、まったく字を書かない日があるのも不思議じゃない。むしろ常態化している。スケジュール管理も当たり前のようにデジタルに置き換わっていて、社会でもこんなふうに徐々に徐々にAIが浸透していくのかもしれないと思う。
字は書くよりも打つのが当たり前になったし、漢字は書かなくても勝手に変換される。間違った書き方をしていたら「ここ間違ってますよ」とWordやGoogle ドキュメントが指摘してくれる便利っぷり。
これは進化なのか、人間が字を書いたり気がつかなくなったりする退化なのか……。便利っぷりから、進化だと私は思いたい。
だからか、久しぶりにSARASAを握ったとき、その書き心地の良さに、初めてSARASAを触ったときのように驚いてしまったし、感覚的に字を書くことを忘れていた自分がいたことに、もっと驚いた。
決定的に忘れたわけじゃなくて、久しぶりすぎて前より下手になってしまった、という感覚に近い。久しぶりに履くヒールのある靴にぐらぐらしたり、久しぶりに聞いた音楽に「あれ? こんな音楽だったっけ……」と思ったりするのに似ている。
「私、こんな字を書いてたっけ……?」と思った。
もっと綺麗でスマートな字を書けるはずだと思っていただけに、書いた字がそうじゃなかったときに恥ずかしくなった。全然書いていないくせに、綺麗でスマートな字が書けると思っていた自分の過大評価に思わず「ごめん」と誰にともなく謝ってしまった。
自分が吐き出す言葉のように、自分が書き出す字には、自分の分身を見ているようで面白い。書けば書くほど上達することを思うと、書かなければ書かないだけ感覚が薄れゆくのも「確かになあ」と思ってしまう。
納得いく字面ではないものの、書きあげた手紙を見て「内容は伝えられるようになったな」と思ったとき、毎日書き続けてきたことが少し役に立った気がした。
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