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「もう、わかってくれなくていい」という気持ちには2種類ある
「もう、わかってくれなくていい」と、高校生の私は激こじれ感情を持っていた時期がある。
誰も私のことをわかってくれない。そもそもわかってほしいと思うから、わかってもらえないことに辛くなる。それならもう、わかってくれなくていい。会話のちょっとしたズレがストレスになって、「そういうことを言いたいわけじゃないのに..…」という言葉と気持ちを飲み込んで、お腹がいっぱいだった。人とのちょっとしたひずみが溜まって溜まって。昔流行っていた積み重ねるタイプのアプリゲームを思い出す。1つがズレると、どんどんずれていく。一つひとつのズレは1㎝にも満たないのに、全体でみると崩れていく。そういう感じ。
そんな気持ちは、ふとしたことで別の方向に転換していく。
「もう、わかってくれなくていい」という気持ちには、2種類あると思う。
前述の私のように、全部を見限ってしまう諦め。「この世に私のことを分かってくれる人は誰もいなんだ」と、全部を捨ててしまうような。1人ぼっちでいい、と自ら世界に白旗を振るような。それは、悲しいほどにわがままで、だけど本人からしたら切実に近い心なのだ。
そしてもう1種類は、最後の砦を持っている今の私。「もう、わかってくれなくていい」だって私には、たった1人、私のことを全部わかってくれる人がいるから。
前にもちょっと書いたけれど、「もうこの世に、この人だけがいればいいな」と思える人。その1人がいるだけで、それだけで、もういい。他の誰もがわかってくれなくても、その人だけはわかってくれるから。私の最後の砦。私の、セーフティネット。
そう思えるようになってからは、会話にストレスをもらうことやズレが入ってこなくなった。あんなに気になっていた崩れ落ちそうな全体も、カメラでいうところの引きになって、ほとんどわからなくなった。どこが崩れそうなの? とまで思っている。
1を漏らしただけで、10も20もわかってくれる。色を言っただけで、虹を描いてくれる。そんな人がいるから、「わかってほしい」と強く望むこともなくなったのだ。
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