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「走る」の感覚がわかるのは
ばーっと走っている感覚だけがある。今が何時なのか、朝なのか昼なのか夜なのか、どのくらい走っているのか、どこを目指して走っているのか、私は休憩いているのかどうか、そんなことも考えずにただ、ずーっと走っている感覚だけがある。
実際、ここ数年、もう走ったりなんてしていない。駅から駅の乗り換えに小走りするぐらい。1本だけ前の電車に乗れるように、階段をチョチョチョと競歩ぐらいのペースで走る。いや、あれはほぼ歩いてるか。早歩きよりもちょっとだけ早いペースで。
それなのに、感覚的には走っているとわかる。仕事の忙しさもあるし、プライベートでもしなきゃいけないことがなぜか山積みで、「ああああぁぁぁあ〜!!」なんて思っているうちに、気がつくと毎日noteの時間になっている。
あれ私、24時間前もこんなことしてたな。ほんとに24時間前? 5時間ぐらいまえの話じゃないの? と思ったりするぐらい、ここ最近は走っている。
もし私が実際に走ったことがなかったら。きっとこのハッハッハッと息が上がる感じや、動き続けていることをどう表現したのだろうか。
やっぱり、体感したことには体感したなりの独特の感覚がある。「走る」と表現の1つとして使えてしまうし、恐らく多くの人に意味が伝わるような気がするけれど、実のところそれは現実世界で走ってみないとわからない感覚なのだ。
面倒なのに足を前に進め続けなきゃいけない感覚とか。息があがって苦しいのを超えると、どこかスーッとした感じがあるあの感覚とか。いきなり止まると、心臓がドクン! として余計に苦しい感じとか。
そう思うと、なんかちょっと久しぶりに体を動かしてみたくなってくる。走るでもいいけど、こうドンドンと体が脈打つような。……なんてそれは、さっきまで今期の火曜10時ドラマ、奈緒さん主演の「あのクズを殴ってやりたいんだ」というボクシングが出てくるドラマを見ていたからにすぎない……。私の意思というよりは、完全にドラマの影響だ。
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