インプットとアウトプットに挟まれて潰されちゃいそう
いろんなものをインプットしすぎて、うまくアウトプットできない現象に悩まされている。
最近ずっとそうだ。
あっちを見ては「すごい!」と思うし、こっちを見ても「さすがだなあ」と思う。小説を読んでも「あー面白い!」となるし、WEBを読んでも「え〜よくもまあ!」となる。
いろんなものを自分の中に詰め込んで、落とし込んで、もはやちょっと取りこぼしてるんじゃないかってぐらい取り込んだ先で、今、私は何も吐き出せなくなってしまった。
世の中に溢れるコンテンツ。文章。言葉。
その中からみんなはどうやって「これが良い!」を選んでいるんだろう。
目の前にあるビュッフェがどれもすごすきて、結局何が食べたいのかわからない状態な感覚。どれも美味しそうなのに、どれも食べたいとは思えない。
だけどそれじゃあ.この note然り、何かを作ることはできないんだと痛感する。
表現がちょっとアレかもだけど、飲み込んだたくさんのインプットをゲエェっすることで、新しい何かが生まれていくのだろう。
そう考えると、今の私の状態は全然良くない。
だって、飲み込んだはずのいろんなものを、ゲエェっと吐き出せていないから。
並べられているビュッフェの料理はどれもすごい。美味しそうだし、手に取ってみても実際めちゃめちゃ美味しい。そういう感覚で、いろんな文章に、コンテンツに触れる。
触れたもの全部に感動するし、すごいなあと思うし、同じくらい嫉妬だってするし、こんちくしょうめとも思う。
そういうごちゃごちゃな感情たちが湧いてしまうのだ。それらがない混ぜになって、心を侵食する。
そんな状態だからこそ、「何を作りたいの?」なんて聞かれたら、今の私は口籠もってしまう。
何が作りたいんだろう。何が書きたいんだろう。
「いいね、いいね!」は素晴らしい感情なんだけれど、なんていうか、イエスマンと表裏一体だ。八方美人と紙一重だ。
だけど、アウトプットや吐き出すこと、「何かを作る」ってことはきっと、目の前にあるたくさんのものの中から「選び取る」ことから始まるんだと思う。
「これはいいけど、こっちはいやだな」
「あっちのが好きだけど、そっちはあんまりだな」
そうやって別れることが、自分を作っていくことになるし、そして、いつかそれは自分の価値観になっていく。
全部に「いいよね、いいよね」となってしまって選び取れていない今の私は、アウトプットもうまくできていない。
取り込むもので自分ができる。それを選ぶことで価値観ができる。
そのどちらにも、恐れず立ち向かっていける自分でありたい。その先にこそ、「何を作りたいの?」に自信を持って答えられる自分がいるのかもしれない。
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。