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あのときの私を知ってるみんなに、恥ずかしくない自分でいたいのだ

来る5月に、楽しみな予定ができた。1月末で全工程が終了した、バトンズの学校の懇親会が開催されるのだ。

ほんとうは最終講義のあとに予定されていたけれど、あの頃はもう何度目かわからない感染爆発が起こっていた。懇親会は延期となり、「必ずやりましょう!」の連絡が入った。

ようやく、その機会がやってきたのだ。

1月末は、名残惜しさをダイヤモンド社のカンファレンス室に残したまま、それぞれの帰路についた。

あれから3ヶ月。久しぶりに受講生のみんなと対面で会える。自分がそうであったように、境遇が変わった受講生も多いだろう。

みんな、今どんなことを頑張っているんだろうか。私は毎日noteを、とにかく頑張って続けている。

ときどき、知り合いにその話をすると、「え、毎日!? 辛いでしょ!?」と言われる。

うん、辛いよ。もちろん大変だよ。

仕事から帰るのが遅かった日も、友達と遊んでくたくたになった日も、とにかく書いている。パソコンを開いて書くこともあれば、最近は家に帰るまでの電車の中でぽちぽちとスマホから更新することも多い。

これは、毎日noteを続けている人ならわかってくれるかもしれないんだけど、たまに「もう、きょうはいいんじゃない?」という、4才ぐらいの拙い子どもの声が聞こえてくることがある。

「もう、きょうはいいんじゃない?」「だってねむいもん」「もじをみたくもないもん」その子はそんなふうに、甘えた声で言う。

その姿は、思ったままを口に出してお母さんを困らせていた私そっくり。繰り返し、繰り返し、小さな私が囁くのだ。

「もう、きょうはいいんじゃない?」

でも、それでも書く。毎日noteを。

たまーに意地になってるんじゃないかって思うこともあるけど、でも1番はやっぱり、他の受講生、そして同じことを何年何年も続けている大先輩たちの存在があるからだ。

大先輩は言う。
「毎日書くことでしか鍛えられない筋肉がある」と。

その言葉に必死に食らいつき、座りそうになるぎりぎりでもう一歩を踏み出す。その胆力でしか得られない何かがある。そう信じて奮い立つみんなの存在が、私を奮い立たせる。

それにね。やっぱり、みんなに誇れる私でいたいんだ。

次に会うときに「毎日note、辞めちゃって〜」とへらへら笑いたくない。これは私の意地だ。

あのときの私を、あのときの私の文章を、知っているみんなには、私よりも私の内側を見られているような気がする。だから、恥ずかしくない自分でいたい。

あ〜楽しみだ!  新しいみんなの話を聞けるのも、新しい私の話をするのも。

そのために、会えるまでのもう少し、一歩でも成長しよう。一歩でも何かをキャッチして、みんなに見せられる自分でいよう。

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たなべ
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。