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実は、SNSからでしか得られない栄養がある

SNSを見てるとさ、「あ〜……見なきゃよかった」って思うことない? それは、SNSを見てて時間を無駄にしたという意味ではなく、見たくなかった投稿や見れば傷つくとわかっているのにわざと見に行ってしまったときの感想として。

今の私の「あ〜……見なきゃよかった」は、そうではないけれど、たとえばわかりやすいのが元恋人の投稿とか。今の恋人とニコニコ笑う姿をストーリーなり投稿なりで見て、すると実はそれが沼の入り口なんですよね。気がつくと過去のストーリーを見れるハイライトを全部見切ってしまったりとか、何度もスクロールをしてフィード投稿を遡ってしまったりとか。

そんなことしなきゃいいし、したらしたで「そっか〜幸せなんだ」と突きつけられる現実に、そこに私はいないという事実を自分で自分に突きつけにいくことをわかっているのに、なぜか目も指も止まらない。あの現象。

SNSって受信に関しては、受動以外のなにものでもないじゃないですか。タイムラインとかはある程度自分で選定した情報かもしれないけれど、次々に見れてしまうストーリーは、もうただ入ってくる一方で。私たちにできることなんて、防戦だけですよ。途中途中で挟まれる広告のたびに、広告をスキップして「う次は安全な方ですか?」と確認したりして。

そんなことを言うと、「じゃあ見なきゃいいじゃん」とか「インスタをアンインストールすればいいじゃん」とか、そんなの1万年と2,000年前からわかっているようなしょうもないアドバイスをくれたりしてさ。

そんなのとっくにわかっているし、頭も心も全身がわかっているし! と声を張り上げたくなる。わがままだよね、ごめんね。アドバイスありがとう。

でも、SNSはある種の栄養でもあると思うんだよ。そうじゃなきゃこんなに人類に浸透していない。どんな栄養? と言われるとそれは個人差がありすぎて一概には言えないけど、きっとみんな、SNSからでしか得られない栄養があるんだと私は思う。

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たなべ
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。