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フライパンにこびりついた焦げをがりがりするとき、私の思い出も少しだけ削れたらいいな

心にこびりついた思い出はあるだろうか?

昨日から、いよいよフライパンの調子が悪くなってきた。鶏肉は焦げるし、焼きうどんはくっつくし、チャーハンは全部おこげになる。フライパンを新調したらいいのだけれど、私の財布は今、緊縮財政をしている。1月末に引っ越しをしたから、家具を買い替えたり、調味料を買ったりでお金が出ていってしまったのだ。だから、2年前に買ったフライパンを使い続けている。

そんなテフロン加工がなくなってしまったフライパンを見て、私の心にこびりついてる思い出ってあるのかな、と考えた。後悔したとか、悲しいとか、やり直したいとか、そういうはっきりと言葉にはできないのに、忘れらないような思い出。

こびりつく……こびりつく……。あ、ひとつだけある。

それは、小学生の頃、助手席に座れなかったことだ。

私の家では、助手席は”上の人”が座る場所だった。簡単にいうと、運転がお父さんならお母さんが、運転がお母さんならお姉ちゃんが。優先順位は、お父さん(お母さん)、お姉ちゃん、私、妹、というぐあいだ。

だから、お姉ちゃんとでかけるのがずっと嫌だった。運転席にはお母さん、助手席にはお姉ちゃん、後部座席に私。2つ並んだいすの間から顔を出して、無理やり会話に入る。でも、小さな私は上半身だけで近づくことはできないから、ほとんど立った状態になってしまう。車が揺れるたびに自分の身体も揺れて、前の2人の会話が聞こえなくなる。今、話はどこまで進んだんだろう。私が聞き逃した会話はどの道を辿ったんだろう。

小さな私は泣きたかったのかもしれない。でも、そんなことぐらいで泣くなんて、なんていうか、おかしな話だから泣かなかったのかもしれない。

けれど、今でも覚えているということは、これが私の心にこびりついてる思い出なのだ。あのときの私は、辿れなくなった会話の道をどうやって歩いたんだろう。結局諦めて座ったんだっけか。それとも、自分で新しい話をいれたんだっけか。その先は全然思い出せない。後部座席にいた、会話に入れなかった、助手席に座れなかったという”焦げ”が心にこびりついている。


フライパンについた焦げを菜箸でがりがりと落とす。なかなか力がいる作業だけれど、10分もしていると少しずつぺりぺりと剝がれてくる。真っ黒なかさぶたみたいだ。そこから出てくるのは、血ではない。テフロン加工がなくなったフライパンの底が出てくる。

明日もこのフライパンを使わなきゃならない……。気が重い。こうやって日常の何気ないストレスっていうのは溜まるんだと思う。
仕方ない。明日からはレンチンで済むご飯にしよう。インスタグラムで調べると、レンジだけで作れる料理はたくさん出てくる。もうこのフライパンはお役御免だ。給料日がきたらフライパンを買い替えようと思う。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。