ショートショート構想中「グロス」
「あ」
きゅぽん、と抜き取ったグロスの先はぬらぬらと光っていた。まるでガムシロップに星空をまぶしたかのよう。思わずぼーっと見ていたら、下に向けた先っぽの方にグロスが溜まってきて、垂れそうになった。
これが、このグロスの最後の1滴。たぶんもう、本体にはほとんどガムシロップの星空まぶしは入っていない。まさか自分が、こんなに可愛らしくて、甘ったらしいグロスを使い切るなんて思いもしてなかった。
「化粧なんて、ただのガキんちょのお絵描き」
彼女は私にやすやすとそう言ってのけた。ぺっと唾を吐くかのような言い分だった。
「なんでそんなこというのさ。可愛くいるのはいいことじゃない」
「けっ、ありきたりな、舐めに舐められたセリフ」
「もう、そういう言い方よくないよ」
「あーあーあー聞きたくない。ちゃんとした言葉も、ちゃんとした言い分も、全然聞きたくない」
彼女は、両方のお母さん指でぎゅむっと自分の耳を餃子のようにした。閉じられているのは真ん中だけだから、上側も下側も筒抜けになっているのに、彼女は何も聞こえない、と言い張った。
「はいはい、わかったわかった。ね、違う話しよ。ほら、昨日見た夢の話とか」
「あ、それならある。昨日の夢は、カバを見てたらミツバチが飛んできてさ。あ、私はミツバチ側の目線でもあって、カバの目線でもあるんだけど」
そこからの彼女の、昨日見た夢の話は止まらなかった。最後まで聞いて分かったのは、彼女はとにかく夢に出てくるいろんな生物たちの視点で世界を見た、ということだった。
「あ」
「ん? 牛乳として冷蔵庫を見てた次は?」
「そうじゃない」
「そうじゃない?」
「渡したいものがあった」
がさがさと、カバンだと言い張るビニール袋の中をあさり始める彼女。結局持ち歩くカバンとしての精度が高いのは、ビニール袋らしい。雨ニモマケズ、雪ニモマケズ。夏の暑さニモマケズ。ただ、風にはちょっと負ける。ということは、軽さが一番あるということだ、というのが彼女の持論だった。
「ほらこれ」
その言葉とともに、私の目の前に出された彼女の手に乗っていたのは1本のピンクみがかかったグロス。
「え、なにこれ」
「あげる」
「え、え、私に? あなたから」
「そう。私から、あなたへ」
グロスと彼女。この世で最も似合わない組み合わせが私の目の前にあった。でも、だからこそ、このグロスを私は一生の宝物だと思っていたのだった。
(続く)