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【メモ的レポート】「結婚」にモヤモヤしたっていい、と言われたかった

今日、小杉湯となりさんで主催された、こちら、「結婚をほぐして考えるワークショップ」に参加しました。

自分の中でも「ほおお!」と思うことや、「ふむふむ、なるほど」と感じ入ったことがたくさんあったので、レポートな気持ちで書いてみようかな。


そもそもこのワークショップを見つけたのはほんとうに偶然で、noteを開いたときに出てくる「今日のあなたへ」で流れてきたのだ。

毎日たくさんのnoteが更新されていて、かくいう私も毎日、noteの海に記事を放流している中でも、「きゅん」ときたのはタイトルのこの一文だった。

「結婚」にモヤモヤしたっていい。

ぱっと見て、「え、だよね」と思った。

ここ最近、SNSを開けば誰かが結婚していた。婚姻届の「婚姻届」という文字だけがドアップにされたり(そこに結婚指輪が並んでいることもある)、5本指が揃えられ薬指に指輪がはまった大きな左と小さな左手が重ねられていたり、「結婚しました!」のテキストともにツーショットがなされていたり。

嬉しいし、幸せだし、いいなあと思うし、素敵だなあと思う一方で、「どうやって決断したん?」「あれ、この前まで一緒にバカ騒ぎして遊んでたよね……?」「どのタイミングで人生一緒に歩いていくって決めたん?」と疑問符が湧きだす子どもな自分もいた。


私が、私という子どものしつけに悪戦苦闘してワタワタしている時間を過ごしていた隣の道で、同級生や先輩は、なぜかちゃんと大人になっていた。同じ時が流れていたはずなのに、出来は違っていた。らしい。


え~……まじかい。


「結婚」の2文字を見たり、聞いたりするたびに私は、私の中の子どもににちょっと優しくできなくなっているような気がしたときもある。

「周りはちゃんと大人になっているのに、どうして私はちゃんと大人になれないんだろう?」「というか、そもそも私は結婚したいと思っているの?」「お母さんは、この歳で子どもがいたんだってよ」「え、私は?」「私は、なんでまだ子どものままなんだろう」。

置いてかれてる。老いて枯れてる。残酷スキマスイッチ。


だから、「『結婚』にモヤモヤしたっていい」の一文にきゅんときたんだと思う。


そして今日、はじめましてのみなさんと「結婚」について、「幸せ」について一緒に、ポジティブにモヤモヤした。参加者は女性の割合が多く、年代も幅広い。

置かれている状況や価値観、考え方が違うのはもちろんなのだけど、何よりも「結婚」に対するモヤモヤの種類の多さにびっくりした。

意外にみんな、「結婚」にモヤモヤしていた。


私の場合は、最近周りの変化によって「結婚」を意識するようになったけれど、例えばもっと暮らしに沿った「結婚」に対してモヤモヤされている方もいたし、実際に「結婚」を意識せざるをえない言葉をかけられてモヤモヤを感じられた方もいたし、「結婚」の先に待っているかもしれない未来についてモヤモヤを考えられている方なんかも。


中でも私が興味深かったのは、2つあって。

1つ目は、「家族」に対する考え方。それは、結婚で作る自分の家族ではなく、自分が育ってきた家族に対する考え方だ。よく結婚は、「1つの家族と1つの家族が重なる」と言われることがあるけれど、そうじゃない場合もあること。やっぱりどうしても、私が育ってきた環境、育ててもらった家族の中でしか話をすることはできない。想像することはできても、それは体験でもなんでもなく、言ってしまえば妄想の範疇を超えることは、この先一生ない。

そして、そんな話をしているときに、リアル婚活サバイバル番組「バチェラー」の話が出た。バチェラーは、本人の職業、年収などのスペックはもちろん、スペックの1つとして “ 家族仲 ” の要素がある。もしかしたらいろいろあるのかもしれないけれど、番組内では絵にかいたような家族、ご両親、ご兄弟、ご親戚各位。

それを見て私は「すげえー」と思うことはあっても、「無理だ」と思うことも、傷つくこともなかった。


2つ目は、結婚相談所の在り方。このワークショップはnoteにも書いてある通り、「高円寺の街で活動する結婚相談所のRegalo Felicの片山さんと出会ったこと」がきっかけで企画されているそう。イベントの中で片山さんが「結婚相談所には、きちんとルールがある。ルールがあるということは安心感があるということ」と仰っていた。

「結婚相談所」というと、着物をきたおばさんが THE お見合い写真 みたいなのを見せて「アナタッ、アナタにはこの男性が合うんザマス!!」的な早口なスネ夫のお母さんみたいなのをイメージしてしまっていた。古風で、閉鎖的で、レトロな感じ。もっと言うと、デリカシーない感じ。

でも、ぜんっぜん違った。

時代が変われば人も変わるわけで、となると人が商売のサービスも変化するという当たり前の法則にハッとした。盲点。

加えて、マッチングアプリというルールもくそもない無法地帯を経験していたからこそ、ルールがあることで保たれる秩序、誠実さはごもっともだった。マッチングアプリはいくらでも嘘がつけるし、実際会ってから「ちょいちょいちょい」と言いたくなることは一度や二度じゃない。

たとえ私が「恋人がほしい」と思っていても、相手が何目的でマッチングアプリをしているかの腹の底は知れない。でも結婚相談所は、深度に違いはあるものの「結婚」は視野に入っている。それだけで腹の読み合いをする必要はないという。

回し者のようなテンションになっちゃったけど、きちんとした実態を知らなかっただけに、固定化されていたサービスのイメージがくるりんとしたのが爽快だった。


他にも、納得できるモヤモヤ、私はまだ持っていないモヤモヤ、新感覚のモヤモヤをたくさん浴びさせていただいた。


あとね。話してみて、動いてみたことで、実は私、「私だけかも」って不安だったんだなあ、と気がついた。

「結婚」にモヤモヤしたっていい。

そう言われたかったんだ、と気がついた。だから私はあのとき、きゅんとしたんだと、帰り道にしんみりした。

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たなべ
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。