普段は見過ごす幸せを書きたいときがある
何を書こうかな、とネタがないとき、私はなるべく小さなことに気づきたいと思っている。
それは、道端に生えてる花が綺麗だったとか、アイスのピノの中に星形が入っていたとか、パッと見たときのデジタル時計が自分の誕生日だったとか、レストランで入ったトイレットペーパーの先が綺麗に折りたたまれていたとか。
そういう日常に落ちている、普段は見過ごしてしまうけど見かけるとちょっとほっこりするタイプの幸福について書きたいなと思う節がある。
ところが。ところがだ。
ほっこりするタイプの幸福は、悲しいことに普段は見過ごしているのが常だ。それにネタがないときに、たまたま落ちていることなんてない。残念ながらない。
ということで、今、必死に今日を起点としてここ最近のことを遡っている。もう1時間経っている。見つかったほっこり幸福(もはやわかりやすいものもあるけど。)を並べてみたいと思う。
・帰省したとき、ずっと食べたいと思って我慢していたお寿司をたらふく食べられた。
・妹はもう使わないからとのことで、欲しかったメイク用品を譲ってもらえた
・みんなの振り返りnote、今年の抱負noteを読めた
・割りばしが信じられないくらい半分に割れた
・帰省でおばあちゃんからもらったお米を炊いたら美味しすぎた
・家を開けても植物が枯れてなかった
・そして何より【入社エントリ】をしっかり書けた! &告知もした!
って、結局いちばん最後を言いたかったんだろ、って思うんだけど、Twitterを投稿するのが苦手な私からすると、自分で生み出せた幸福でもある。
今年の目標に「SNSを更新する」、SNS用プラス思い出のために「写真をたくさん撮る」があるのだけれど、そのうちの1つをいきなり叶えられたのは幸先の良いスタートだ。
そして、これを年始だけじゃなくてとりあえず3ヶ月。3ヶ月続けられたら、また自分を甘やかそう。
私は自分の目標もハードルもゴールも長く強いものより、短く少し緩めのほうが自己肯定感も保ちやすいタイプなのだ。