重い話にするつもりはないんだけど、この世の中は「死」で溢れている。
昨年の9月に最愛の妻が空に旅立ってしまった。
最愛の妻との出逢いから別れまでを、ボクの目線から魂を込めて書き綴った『虹の彼方に』はこちらのマガジンにて。
妻が空に旅立ってから、「死生観」についてもいろいろ考えさせられた。
図らずも最も大切な人との「死別」を体験してしまったせいで、無意識に「死」というものに敏感になってしまったように思う。
「死」を感じるたびに「その瞬間」を思い出したり、その時の感情が蘇ってきたりして、感情が揺さぶられたりするときもしばしばあるのだが、それが思いのほか世の中に溢れている事に気付いた。
まぁ身近なところではテレビを付ければ、ドラマや映画などで「死」はよく出てくるよね。
「死」は決して軽いという事ではないのだけれど、フィクションなだけに、時には軽く、時には重く、まるで調味料のようにストーリーに「死」が盛り込まれている。
ニュースをみててもほとんど毎日のように誰かが「死」を迎えている。
災害、事件、事故、自殺、他殺と死因も様々だ。
こちらはノンフィクションなので、調味料というわけにもいかない。
その都度、こちらもやはり「死」について敏感になっているので、以前より「死」を意識してしまうのだが、自分が遺された側の立場にあるだけに、フィクションもノンフィクションも問わずに「その目線」で「死」を無意識に意識してしまう。
気分転換になるかと某動画配信サービスで映画を物色していたら、初期の『マッドマックス』があった。
とても懐かしくなって、「久しぶりに若き日のメル・ギブソンでも観てテンションあげてみるか」とさっそく観てみた。
この時代に低予算でよく出来た、良い意味でクレイジーな映画だ。
この映画はシリーズを通してセンスがイカしている。
『北斗の拳』のモデルにもなった作品だから、影響を受けた人も多いんじゃないかな。
で、作中ではボクが朧げに記憶していたよりたくさんの「死」が出てきたわけ。
ああ、大切な人が不本意に、演出としては間接的に「死」へ。
わぁ、それは主人公もブチギレですわ。
自分が若かった日に観てた時は、そこまで意識していなかったけど、やっぱ今は意識してしまうよね。
だからどうということではなく、ただただ意識をしてしまうわけ。
次にメル・ギブソン繋がりで『リーサル・ウェポン』の初作も続けて観た。
この作品も昔はスゴく好きだったのでよく観ていた。
いかにも「ザ・アメリカ」な痛快アクション映画だと思う。
あれ?
メル・ギブソン演じる主人公リッグスって、最初は周囲から自殺志願者と思われるくらい破天荒なクレイジー刑事設定だけど……OH!なんてこったい!!!
じつはリッグスも過去に奥さんを事故で亡くしておられたわけですよ。
いろいろ続編への伏線があるから、詳しくは言わないけど。
で、主人公リッグスが夜に自宅で奥さんを思い出して「寂しいよ…」って泣くシーンがあったんだけど、ワイもそのシーンで泣いてもうたがな。
わかる、その気持ちわかるぞ、リッグス。
でもきっとこのシーンで泣く人は全世界で多分3人くらいしかいなかった思う。(←超憶測)
全然関係ないけど、相棒のマータフ刑事が50歳設定で年寄り呼ばわりされてたけどさ、ワイはもうそっち寄りの年齢やがな。(←知らんがな)
話を戻そう。
そう、確実に昔より感じるポイントが違っているのだ。
単純に年齢を重ねていることと、やっぱり「死」を身近で感じている経験があるのとないのとでは違うのだろうな、とも思う。
どっちが良いとか悪いとかじゃなくてね。
『東京リベンジャーズ』がアニメでも放映されるようになって、かなり人気もあるみたい。
『新宿スワン』好きだったから、ボクもめっちゃ観てるんだけども…これもほら、「死」が大きなキーポイントになっていて、タイムリープまでできちゃう。
「できるものならオレもタイムリープしてーわ!」ってマジで思うもん。
好きだった映画『バタフライエフェクト』みたいにさ、大切な人のためなら何度でも…って気持ち、スゲーわかる。
ボクは若い頃からブラックミュージックに傾聴していて、特にHIPHOPが好きだったんだけど、今は亡きNotorious B.I.Gのファーストアルバム『Ready To Die』という作品があって、めちゃめちゃ影響を受けた。
タイトル通り、直訳すれば『死への準備』ということで、つまりは「死の覚悟はできているぜ」という感じかな。
当時はその言葉にとてもシンパシーを感じ、「人間は生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まっている」といった自分なりの「死生観」を持っていた。
それがカッコいいと思っていたし、だからこそ「いつ死んでもいいという覚悟」をもっていようと心に秘めていた。
でも「悔いのない人生を」という言い訳を武器に、好き勝手にやりたい放題してきて、たくさんの迷惑をかける事になるんだけどね。(←『虹の彼方に』「#3 転落」参照)
まぁ、今思えばそれは大きく間違っていたんだけど…。
こういう「死への覚悟」といった「死生観」もね、ある側面ではとても大切だと思う。
でもこういうのは概ね自分自身に対してであって、大切な人の分まで常日頃から「覚悟」なんてできないよ。
だって、やっぱ生きててほしいもん。
生きててほしかったもん。
自分が代わってあげたいって本気で願ったしさ。
あ、いつの間にか口語体になっててゴメン。
そんなわけで、思ったより「死」は世間に溢れてるよなって話。
実際に大切な人の「死」を受け入れるのはホントに深いし大きいし、それはそれは大変で、自分でもまだまだなんだけど、でもモノの考え方や視線を少し変えてみると、こうやっていろんな角度から見えることや、過去の思想を思い出すこともあって、それが悲しみへの緩和に少しでもプラスになることだって、あるんじゃないかな。
「意識」するかしないかは…アナタ次第です。(←ええっ)
最後の最後に、ホントに申し訳ないんだけど…
最愛の妻が空へと旅立ってから、ボクが妻にかなり依存していたと思われていたのか、結構「後追い…」的なことを心配されたりしたんだけどさ、なんでそういう行動にならなかったかって話もしておくね。
ボクは特に宗教に対して熱心なわけじゃないし、都合の良い時だけ神さまに頼りがちな、そういう意味ではごくごく一般的な人間だと思っていて、そんなボクなんだけど昔誰かにこんな話を聞いたことがあってね…
大切な人が亡くなって、後を追うように自死、つまり自殺した人は、せっかくなんだけど自死しちゃったから、大切な人にところに辿り着けないんだってさ。
同じ「死」でも行き先は全然違うのだとか。
それがどこぞの宗教の話か、神さまの話か、よくわからないんだけど、なんか妙に説得力があって、それを単純に信じてるってだけの話。
きっといろんな諸説があったり、もしかしたら真実は違うのかも知れないけど、詳しいことなんてもうどうでもよくて、いつか自分にもその時が来たらさ、一緒にいれるといいなって思うやん?
ただそれだけ。
ただそれだけのことだけど、自分にはそれで充分だった…かな。
続きはまた次の機会に。
今日はここまで。
しつこいけど『虹の彼方に』も、どうかよろしくお願いします。
※文中に出てくる作品名は著作権やらネタバレやらで、今の世の中はとても五月蝿いみたいだから、詳細は端折ってます。気になる人は調べるなり観るなり聴くなりしてね。知らない人には解らない話でゴメンなさい。