#4. 仕事 【虹の彼方に】
ボクと彼女は、出逢ってしばらくしてから付き合いはじめた。
よく食べ、よく笑い、よく仕事をするひとだった。
彼女はハワイアン式『ロミロミマッサージ』のサロンを経営していた。
それ以外にも、彼女からもらった名刺には、株式会社の代表取締役であり、その他にもたくさんの肩書きがズラリと並んでいた。
コンサル業や人材育成関連、過去には飲食業界にも携わっていたようで、仕事に関してはいくつも顔を持っていたが、たくさんありすぎて当時のボクには詳細がよくわからなかった。
とにかく仕事が好きで、顔が広く知合いがとても多い人だった。
彼女の活動時間は、昼前に起きて事務的な業務をこなし、マッサージの予約がなければ知合いの職場に顔を出しに回っては「何かお手伝いできることはないですか?」と新たな仕事を模索したり、セミナーに参加しては新たな勉強に勤しみ、夜は深夜2時や3時までマッサージの仕事をして働き、午前4時ごろ帰宅して眠るといった生活のサイクルだった。
朝の早い建築業界にいたボクとは少しだけ生活のサイクルがズレていたのだが、それがまたボク達の関係としては、干渉し過ぎず離れ過ぎずでちょうど良かったように思う。
人を幸せする仕事がしたいという意思が強く、ホントによく「幸せ」という言葉を口にしていた。
彼女が仕事を終えるのはいつも深夜なので、週末にボクが終電で大阪市内まで出てきていた。
大阪市内の馴染みの立呑み屋やバーでボクが呑んでいて、仕事を終えた彼女がそこに合流し、少し呑んだら彼女の家まで一緒に帰るのが週末のルーティンとなっていた。
カップルになってすぐのボクは生まれ育った片田舎の地元に住んでいたのだが、大阪市内まで行くのに時間も交通費もかかってなかなか遠すぎるし、かといって大阪市内に住んでしまうとボクの通勤が大変になるので、彼女との交際をきっかけに大阪市内と地元の中間くらいに位置する堺市というところに引越しをする事にした。
彼女に引越しする旨を伝えると「一緒に住めばいいのに・・・」と言ってくれたが、その時はまだ付き合ったばかりだし、ボクの通勤が大変になるので、乗り換えしなくても地下鉄一本で行ける場所に引越しをする事で理解をしてもらった。
後にこの「一緒に住めばいいのに・・・」の言葉の意味と深さを思い知るのは、まだもっともっと先の事になる。
ある土曜日の夜、ボクは仕事を終えていつものように自分の家事を済ませ、終電に近い電車で大阪市内に向かった。
そしていつものように彼女と合流して一緒に彼女の家に帰った。
お風呂にお湯を溜めてる間にテレビを付けて、
「はい、今週もお疲れさまー!」と缶のハイボールでいつものように乾杯した。
テレビでは何かの企画で芸人さんが一般の家庭に訪問に行くような番組をやっていた。
その時テレビに映っていた家庭はものスゴく大きな豪邸で、でも家の住人はまだとても若い夫婦で、子供が2人いるという家族構成だった。
ボクはそれを観ていてホントに何気なく、
「何をしてたらこの若さでこんな家に住めるんやろ?じつはなんか裏で悪いことしてるんちゃうの?」
と、当時のボクの「クズ人間」だった価値観で無意識に、そして無責任に口走った。
すると彼女は、
「何でそう思ったの?」と真顔で尋ねてきた。
(あれ?なんか怒ってる?)
「いや、若いのにこんな豪邸に住んで、こんなにいい暮らしするって、フツーに生活してたらなかなか無理やん?」
「フツーってなに?そんな悲しいこと言わないで。この人は凄く頑張ってここまで財を成したかも知れへんやん?」
「うーん、オレの周りには金持ってる人って、悪いことしてる人くらいしかおれへんからさ・・・」
「あのね、口にしたことって必ず叶うねん。強く願ったことって必ず叶うねん。」
「う、うん・・・」
「私の知ってる人の中には若くてもこういう人たくさんおるよ。どん底の生活から復活した人もたくさん知ってる。」
ボクは黙って彼女の話を聞き続けた。
「プラスなこともマイナスなことも、口にしたことって絶対に叶っちゃうからさ、マイナスなこととか、人を貶すようなことをこれから絶対に口にしないって約束してほしいな。」
表情は穏やかだったけど、初めて見るすごく真剣な顔だった。
「そっか、ゴメンね。自分の狭い視野と価値観で話しちゃって・・・・」
ボクは心の中で、薄汚くて下衆な自分の考え方を反省した。
(ああ、やっぱオレって汚れてんなー)
きっと彼女に出逢わなければ、下衆を下衆だとも気付かずに汚い言葉を吐き続けて生きていたのだと思う。
「私はね、ジョニーさんがそうやってすぐに受け入れてくれる素直なところ大好きだよ。今はダメでも、これからいくらでも変えていけばいいねん。知らないことって世の中にはたくさんあるからね。」
「うん」
そんな彼女だからこそ、ボクが素直になれるのだと思った。
「人間はね、何歳からでも絶対にやり直せるねん。ジョニーさんはオッサンやけどまだ何も知らない赤ちゃんみたいなもんやからな。私がこれからいっぱい教えていってあげるよ。」
彼女の真剣な顔が、優しい微笑みに変わっていた。
「はい、よろしくお願いします。」
「はい、よくできました。生まれたてのおっちゃん。」
彼女はボクの薄い頭を撫でながら、自分が発した『生まれたてのおっちゃん』というフレーズがとても気に入ったらしく、いつまでもケラケラと笑っていた。
ボクはなぜか彼女の前ではいつも素直になれたし、彼女の言葉を受け入れることができた。
「いい?何回も言うけど、口にしたことや強く願ったことは絶対に叶ってしまうから、マイナスな言葉を絶対に吐かないでね。」
彼女が何度もいうこの言葉を聞いて、今まで何かあるたびにマイナスな発言をしていた自分に気付かされた。
自分を正当化する為に誰かのせいにしたり、社会のせいにしていたことがとても恥ずかしく思えてきた。
彼女はそれに優しく気付かせてくれ、今からでもやり直しができることをボクに教えてくれた。
「マイナスなことばっかり言うてたらな、寝て起きたら莫大な借金を抱えてることだってあるし、息してるだけで何十万も利息が増えていくことだってあるんやで。」
彼女自身が負債をたくさん抱えていた過去があることや、事業に失敗して苦労した過去があることも、この時にやんわりと聞いた。
彼女の言葉に説得力があるのは、彼女自身が彼女なりの地獄を体験してきたからこそなのかも知れない。
「まだまだ少しずつやけど、今抱えてるもの全部終わったらさ、いつか私がジョニーさんを絶対に幸せにしてあげるからね。」
彼女はそういってまた優しく微笑んだ。
「そういうのは男のオレのセリフやんか・・・ゴメンな、安月給で不甲斐なくてさ・・・」
「ほら、またマイナスなこと言うてる。男とか女とか関係無いんだって。お金なんて持ってる人が出せばいいねん。お金とかじゃなくて、私はジョニーさんに出逢えたことがもう既に幸せなんやで。だから私がジョニーさんを絶対に幸せにするねん。」
今まで言われた事のない言葉と、彼女にこう言わせてしまっている自分の不甲斐なさに涙が出そうになった。
「ホンマにありがとう。オレも絶対幸せにするから。」
彼女の周囲には知合いがたくさんいて、ボクなんか比べ物にならないくらいハイスペックで魅力的で優秀な男性もたくさんいるというのに・・・
なぜボクなんだろう?
彼女はいつも明朗で、ルックスも整っていて、スタイルも悪くないし、自分で会社も経営してて、いつも明るく笑顔で気立ても良い。
実際「私まぁまぁモテるねん」って自分で豪語していたし、確かにモテていた。
それがなぜ田舎者で世間知らずで、そしてあらゆる面で見劣りする何の取り柄もないブサイクでハゲかけた『生まれたてのオッサン』にこうまで優しく尽くしてくれるのだろう?
本当に謎だった。
ある日彼女が言った。
「私ね、今やってるサロンでマッサージするのも、自分の技術で直接お客さんの身体を癒せるし、人を幸せにしてる感覚が直接感じ取れるから大好きやねんけど、いつかはセミナーをやって食べていけたらないいなって思ってるねん。」
「セミナー?」
「うん、私ね、このお仕事してて、じつはお客さんのリピート率96%以上をキープしてるねん。」
「スゴいやん、ほとんどリピーターやんか。」
「昔ね、寝て起きたら急に借金まみれになってて、シャカシャカのジャージ着た若いお兄ちゃんに毎日取立てに来られたりしたこともあってん・・・」
「ええっ!そうなん?」
彼女は続けた。
「その時はとにかく稼がなあかんから、どうやったらお客さんはまた来てくれるんやろ?って脳ミソちぎれるくらい考えてん。」
「新規のお客さんの集客って、結局値下げが一番効果的なのよ。でも集客に固執しすぎて新規のお客さんばっかりだと結局儲けも薄いから、負債抱えてたら払っていかれへんし、結果的にしんどくなるねんな。」
「・・・なるほど」
「だから私はリピート率にこだわってるねん。」
「あの頃は気がついたら寝るヒマないくらい必死やったわ。」
「その時に脳ミソちぎれるくらい考えて編み出した私の接客方法と、ここ数年で学んだ脳科学を組み合わせた接客術やねんけどさ・・・」
「これって私なかなか良い線いってると思ってて、前に関東でやってたそこそこ大きい接客術のセミナーを聞きにいったら、ほぼ私が思ってることと変わらん内容やってん。」
「なんやったら私の方がちょっと上いってるくらいやと思ったくらいやわ。」
「どうにか私の接客術のセミナーが浸透して、全国をセミナーで回りながらゴハン食べていけたらなぁっていうのが今の私の夢やねん。」
「そしていつかジョニーさんと一緒にハワイに住んで、海辺でジョニーさんがウクレレ弾いてくれて、私が横でフラ踊ってて、その横をワンキチが楽しそうに走り回ってるねん。」
「素敵やと思えへん? 強く願ったら夢って絶対叶うんやで。私にはその光景が今ハッキリと見えてるよ。」
「だからジョニーさんも一緒に強く願ってね。大好きよ。」
ボクは彼女の夢の話を聞いて、これまで自分の抱いていた価値観を大きくアップデートしてもらえた気がした。
自分が欲望と快楽で作った借金で首が回らなかったとき、果たして脳ミソがちぎれるほど考えただろうか?
そんな自分がとても恥ずかしく思えた。
いや、そうではない。
自分の人生はたった今からやり直すのだ。
そして彼女なら必ずやり遂げると思ったし、ボクはどうにか全力で彼女のサポートができないものかと漠然と考えていた。
そんないつも前向きな彼女もたまには落ち込むことがあった。
彼女はどちらかといえば仕事でもプライベートでも、万人に好かれたい八方美人タイプだった。
だがその分、そんな彼女の事を良く思わない人間が少なからずいたのも事実・・・
そんな出来事があると、
「人間同士なんだから、そりゃ好き嫌いもあるって・・・」と、ボクは慰めるのだが、
「私は脳科学の勉強もしてるのに、もっと相手のこと理解して、あの時ちゃんとああ言えば結果は変わってたんちゃうかな・・・」と、深く反省していた。
彼女のことをスゴいなと思ったのは、自分の事を良く思っていない人間に対しても、そうやって反省しているところだった。
ボクなら敵は敵、味方は味方、去るもの追わず、来るもの拒まずのタイプなので、敵対者に対してはこちらも敵意を見せてしまっていた。
もちろん仕事ならば好き嫌いも言っていられないのだが、内心ではそう思っていたし、少なくとも上辺だけの付き合いになっていたと思う。
しかし彼女は相手を分析し、いかに相手の気持ちがこちらに向いてもらえるかを真剣に考えていた。
まぁ何が良いのか悪いのかは別として、とにかく自分にない部分をたくさん持っている彼女をボクは心から尊敬した。
あと、彼女はよくボクにも意見を求めてくれた。
物事を客観視する時の、素人なりのボクの視点が重要だと言っては、
「こんな企画考えてるんやけど、これって素直にどう思う?」
「これをやるには何が必要で何が不必要だと思う?」
と、素人のボクに聞いてきた。
ボクが聞かれたことについて素直に話すと、大体は納得してくれて、自分の計画に修正を加えてくれたりしていた。
少しでも彼女の力になれた気がして、なんだかとてもうれしかった。
何から何まで、自分と比較すればするほど尊敬しか出てこなかった。
そんな彼女との付き合いはまだ始まったばかりで、ボクはそんな彼女と逢うたびにいつもワクワクしていた。
四十代になって、こんなにもワクワクすることってあるだろうか?
ボクの方は仕事に関していえば、この当時は相変わらず暗いトンネルの中から抜け出せずにいたが、つい先日まで「諦めていた人生」だった自分の中の意識が、彼女と出逢ったことで飛躍的に変わってゆくのを実感していた。