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#13. 九月 【虹の彼方に】

9月1日 「抗がん剤治療」の2クール目に突入した。

1クール目の抗がん剤が効いていたのか、3〜4倍のスピードで成長していた腫瘍の成長をどうにか食い止めることができていたように思う。

腫瘍自体の大きさは現状維持か、ほんの気持ちだけ小さくなっていたようにも見えた。

2クール目の抗がん剤は1クール目よりも内容がより強力になったため、副作用が強く、身の置き所がないようなしんどさが続いた。

あまりにもしんどくなると医療麻薬のような薬を自力で投入する装置があるのだが、それを使っても彼女を襲う「えもいわれぬしんどさ」はなかなか取れてくれなかった。

彼女の筋力はどんどん落ちて痩せていくので、入院中はとにかくリハビリをするのが必須となった。

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病院のリハビリルームの横には、広くはないがテラスのようなエリアが設けられていて、病院内で唯一、外の空気に触れることができる場所があった。

彼女はこのエリアをとても気に入っていて、リハビリをした後はよくここで外の空気を吸っては気を整えていた。

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リハビリは懸命に続けるのだが、筋力は落ち続け身体はどんどん痩せ細っていった。



9月4日 一旦退院してまた自宅療養となる。

自力で歩くのが困難なので、退院したその足でホームセンターに行って杖を購入してあげた。

杖を使えばゆっくりとだが、少し歩くことが可能だった。

入院中に「介護ケア」というサービスを受ける手続きをしていた。

自宅療養中でも何かあった場合は、薬の処方から点滴などの簡単な処置を自宅に来てやってもらえるという。

さっそく来ていただいて車椅子を借りたり、毎日飲まないといけない大量の薬の仕分けなんかを手伝っていただいた。


9月5日 彼女の友達の不動産屋さんに頼んでいた新サロンの物件の内見に行く予定を入れていた。

日増しに痩せてはいくけれど、リハビリのおかげか杖をつきながら、少しならワンキチの散歩にも出れるくらいの状態だった。

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相当しんどそうでかなり疲れた様子だったが、何軒かの内見を頑張った。

その甲斐あってか、彼女の得意の直感力で陽当たりが良くてとても気に入った物件が見つかったので、すぐに契約できるように手配をしてもらった。

「ついでだから元気になったら、うちの家ももっと明るくて陽当たりの良い物件に引っ越そうか!」

そう言いながら、彼女はとても上機嫌だった。


9月10日 妻が「今日は調子が良さそうだから、久しぶりに『緑貯金』がしたいな。」と言った。

ボクはすぐに車を手配して、自然のありそうなところを目指して車を走らせた。

しばらく走っていたのだが、途中で妻の具合が優れなくなってしまった。

比較的近いところまで来ていたので、妻の実家に寄って休憩がしたいと彼女は言った。

ボクは行き先を変更して、彼女の実家に向かった。

突然の訪問でお義父さんは出掛けていたが、お義母さんはちょうど買物から帰ってきたところだった。

彼女は実家のリビングで横になり、お義母さんと昔話をしては楽しそうに、そして懐かしそうに笑っていた。


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少し回復したのでしばらく談笑してから、自宅に帰る事にした。

そして彼女にとっては、これが最後の実家への帰省となってしまった。


9月14日 2クール目の「抗がん剤治療」の結果を検査するための短期入院だった。

各種様々な検査結果と、妻の痩せてしまった容姿やほとんど摂れない食事量から判断して、この後3クール目の「抗がん剤治療」を施されることは叶わなかった。

「抗がん剤治療」にはやはり「抗がん剤」に耐えうる体力が絶対条件だった。

体力と筋力の消耗が日を増すごとに激しくなり、薬の副作用で味覚障害が生じていたことも相まって、食事もほとんど喉を通らなくなってしまった妻には、もうこれ以上の「抗がん剤治療」は耐えられないというジャッジが降ってしまったのだ。

「先生、なんとかなりませんか?このまま『緩和ケア』になるんですか?」

ボクは必死に先生に食い下がった。

先生も「我々も最善を尽くして考えています・・・一つだけ提案できることがあります。『分子標的治療薬』というものがありまして・・・」

かなり厳しい局面に立たされた。

実質この「分子標的治療薬」がボク達に残された最後の武器となった。

もちろん以前から同時並行で、これまでアドバイスや紹介をいただいた様々な民間療法や商品、スピリチュアルな事に至るまで、そのほとんどを可能な限り試してはきたが、そのどれもが彼女の体内に巣食っている「増殖が異常に速いレアな腫瘍」には太刀打ちできなかったようだった。

体調の変動はどんどん激しくなっていたが、彼女はその状況にも耐えに耐え抜いた。

苦しんでいる妻の手を握り、ボクも一緒になって乗り越えようとした。

だけど隣にいることしかできない自分の無能さと無力さに、ボクは何度も何度も打ちひしがれた。

毎日悔しくて悔しくて、病院からの帰り道に何度も涙を流した。

なんで自分じゃなかったんだろう?

なんで彼女なんだろう?

でも一番悔しくて苦しくてしんどいのは妻なのだ。

そしてそれでもまだ、ボク達は諦めていたわけではなかった。


9月16日 「分子標的治療薬」で腫瘍の進行抑制を試みた。

今の妻にはその薬すらが強烈すぎたのか、それとも痛止めの薬が効きすぎているのか、とにかく副作用によって意識が朦朧としていた。

結果的にこの日、ボクが面会に行ったことすらも彼女は憶えていなかった。

いわゆる「せん妄」と呼ばれるもので、夢とも現実とも区別がつかない様子が続く状態だった。

かなりの幻覚が見えていたようで、たくさんのケセランパサラン(?)や天使の格好をした、たくさんの子供達が見えていると口走っていた。

これまで妻は可能な限り、自身のSNSに自身の状況の投稿を続けていた。

その投稿の大半は自身が闘病中でありながら、驚くほど前向きな内容だった。

「せん妄」の日も無意識にSNSに投稿はしていたようだったが、誤字脱字がスゴすぎて、それを読んだ人にはかなり心配をかけてしまうような内容だった。


9月20日 「分子標的治療薬」でかなり苦しんだが、ようやく自我を取り戻し、少しだけ落ち着いたので一時退院となった。

彼女は久しぶりの自宅でワンキチやちくわとの再会によろこんでいた。

新型コロナウイルスにかなり配慮していただいた形で、彼女の親友や友達や知人も、数人訪問してくださったり、励ましやお見舞いの品をたくさんいただいた。

身の置き所のないしんどさや、何を口にしても鉄の味しかしないといった味覚障害があるものの、絶望的に苦しかった時期に比べれば安定していたので、「分子標的治療薬」が効いてくれていてほしいと強く願った。


9月22日 その日はボクの47歳の誕生日だった。

こんな状況にも関わらず、彼女は彼女の友達に頼んでケーキをオーダーしてくれていた。

なぜかおっぱいの形をしたケーキだった。

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ボクはまさか闘病中の妻が、そんなお祝いの準備をしてくれているなんて夢にも思わなかったので、今の彼女なりの精一杯のサプライズにとても感激した。

「ジョニーさん!誕生日おめでとう!いつもありがとうね!ジョニーさんを産んでくれたお父さんやお母さんにも感謝!こうやって看病もいっぱいしてくれて本当にありがとう!大好きよ!病気治して来年はハワイに連れてってあげるからね!」

ボクは彼女にとても感謝しながら、つかの間の楽しい時間を過ごした。

彼女の友達も帰ってゆき、ボク達はゆっくりした時間を過ごしていたのだが、夜になって彼女の体調が急変した。

そのままどんどん体調が悪化し、お腹をとても痛がって転げ回り、40度を超える高熱が出てきた。

ボクは介護ケアの先生と電話でやりとりしながら、彼女の症状を細かく伝えた。

これはもう危険だという判断で救急車を呼ぶように指示された。

ボクは彼女の様子から「これは救急車を待っている時間すらヤバい」と直感した。

車の手配をして自力で病院に向かう方が早いと判断したので、病院側に受け入れの段取りをしてもらえるように介護ケアの先生にお願いした。

ボクは家を飛び出し、アプリで車の手続きをしながら、すぐ近所のカーシェアリングのある駐車場までダッシュした。

車を家の前に持ってきて、再び自宅に戻ったボクは彼女を車椅子に慎重に乗せた。

「あいぽん、ちょっとだけ我慢してな・・・」

車椅子でマンションの外に出て、車に彼女を乗せて病院へと飛ばした。

5分ほどで病院に到着し、救急の入口に車を付けた。

介護ケアの先生が既に病院側に連絡をしてくれていたので、病院側もストレッチャーを用意して待機してくれていた。

彼女をストレッチャーに移して、「あいぽん、もう病院やから!もう大丈夫やから!」と声をかけながら処置室まで手を握りながらついていった。

病棟に入ってからは、入院の手続きをしなくてはならなかった。

ボクは各種書類にサインを書きつつ、普段からワンキチの面倒を見てくれる近所のおばちゃんに電話で事情を説明して、急遽ワンキチを預ける段取りをつけた。

書類を提出して彼女の側に行ったが、投薬のせいか深く眠っているようだった。

緊急入院となったため、ボクは入院の準備をしに再び家に帰った。

家に戻る頃にはもう既に、日付が変わっていたと思う。

ワンキチはこの一連の騒動にまたストレスを受けたのか、激しい下痢になって部屋中を汚してしまっていた。

ボクはワンキチを抱っこしながら、部屋の掃除をしてワンキチを落ち着かせた。

しばらくして深夜にも関わらず、おばちゃんが家に駆けつけてくれた。

とにかく今は何も詳細はわからないのだけれど、また改めて連絡をするからワンキチをしばらく預かって欲しいとお願いをした。

おばちゃんも妻のお容態をかなり気にかけてくれて、快くワンキチを預かってくれた。

ボクは部屋の掃除の続きをしてから、入院のための準備をした。

カバンに荷物を詰めたら、少しパニックになっている頭を冷やすためにシャワーを浴びた。

ついさっきまでボクの為に誕生日を祝ってくれていたのに、何で急にこうなってしまったのかと思ったら涙が出てきた。

もしかしたら誕生日が終わるまで、本当は苦しいのをずっと我慢してくれてたのかなぁ?

そうだとしたら、こうなってしまったのはボクのせいだと、強い自責の念に駆られた。

ボクはシャワーを浴びながら跪いて咽び泣いた。

シャワーから出ると、落ち着くために少しだけソファーに座った。

ボクは自責の念に駆られていたはずなのに、いつの間にかそのまま意識を失っていた。


9月23日 早朝4時頃、妻からの着信で目が覚めた。

「もしもし!あいぽん?大丈夫?」

「もう〜、ジョニーさんどこにいるの〜?ずっと一緒にいてくれるって言うたやん!なんでおれへんの?淋しい!今すぐ隣にきて!しんどい!助けて!」

「あいぽん、ゴメンな!すぐ行くから!」

「ホンマに早く来てな!」

薬の影響なのか、彼女の口調は呂律があまり回っていなかった。

先日の「せん妄」のような状態に近いように感じた。

そんな状態にも関わらず、彼女はボクを必要としてくれていた。

とにかくボクは荷物を持ってすぐに家を飛び出し、病院へと向かった。

病院に着くと妻は特殊な個室に移されていた。

看護師さんに聞くと、どうやら薬の影響による「せん妄」のせいで少し暴れたようだった。

夢とも現実ともつかないような状態の中、彼女はずっとボクを探してくれていたのだという。

あまりにも彼女がボクを探し、ボクと連絡を取って欲しいと暴れるので、看護師さんが彼女のスマホを使って、ボクに電話をつなげてくれて今朝の彼女からのやりとりとなったと聞いた。

彼女の手を握って、

「あいぽん、ゴメンな。」

と優しく声をかけた。

彼女は「ずっとそばにおるって言うてたやん・・・どこに行ってたん?淋しかった・・・でも帰ってきてくれてうれしい・・・ありがとう・・・」

安心してくれたようで、静かに頷いてそのまま眠ってしまった。

朝7時くらいに主治医の先生がやってきた。

「愛子さーん、調子はどうですかー?」

先生は強調するように、少し大きめの元気な声で彼女に声をかけた。

彼女は目を閉じたまま、何かうわ言のような事を言っていた。

しばらくして先生がボクを病室の外に呼び出した。

「今の愛子さんは、夢か現実かの区別のつかない事を話していますが、恐らくこちらの言っている事は聞こえていて、理解もしていると思います。現状はかなり厳しい状態です。いつ何が起きてもおかしくないです。このままだと・・・もしかしたら10月を迎えられるかどうか・・・もっというと・・・この週を越せるかどうか・・・それくらいの状況だと思っていてください。ご両親もいつでも来ていただけるように、前もって連絡を入れられた方が良いかも知れません。」

「・・・そうです・・・か・・・」

他に言葉が出てこなかった。

とにかく気力を振り絞って彼女のお義父さんに連絡をして状況を説明した。

午後になって、彼女の両親が駆けつけてきてくれた。

彼女は「せん妄」のため、最初は両親の区別がついていなかった。

たまに起き上がったりはするのだが、なにかうわ言のような辻褄の合わないことをずっと呟いていた。

だがなぜか急に、彼女が正気に戻った瞬間があった。

「あれ?お父さんもお母さんもいつ来たの?来てくれてありがとう!」

「愛ちゃん・・・よかった!ちょっと前からおったよ。」

「私、全然気付かなかったわ・・・」

その後また「せん妄」の世界へと戻っていってしまった。

「せん妄」は続くものの、比較的安定してきたのか彼女がまた眠ってしまい、新型コロナウイルスの影響であまり長居ができないということもあって、ご両親は一旦帰っていった。

夕方になって彼女の親友であり、ボク達の結婚式の披露宴の時に冒頭で素敵な歌を披露してくれたジャズヴォーカリストの吉田真理子さんが来てくださった。

「愛ちゃん!会いにきたよー!」

「あいぽん!真理子さんがきてくれたよ!」

何度も声をかけたが、この時も彼女は「せん妄」によって、うわ言を呟いたりしていた。

しかしまたほんの一瞬だけ正気に戻ってくれた。

「ああ!マリリン!!!来てくれたんや!めっちゃうれしい!」

満面の笑みでとてもよろこんでいた。

この吉田真理子さんが、彼女が最後に会えた親友であり、この瞬間が親友との最後の会話となってしまった。


 吉田真理子さんは、妻が自宅療養中にも多忙な中ちょくちょくお見舞いに来てくださっていて、数日前も自宅にお見舞いに来てもらったばかりだった。

この時も終始涙を目に浮かべながらも、ずっと彼女を気遣って献身的に話しかけてくれていた。

ボク達夫婦は真理子さんのライブがあれば、可能な限り聴きに行ったし、妻は真理子さんがヴォーカルレッスンの教室を開いた時も、一番最初に彼女の友達と一緒に生徒として入門し、定期的にレッスンを受けたりしていた。

彼女と真理子さんは親友であり、まるで姉妹のように公私共にとても仲良くさせてもらっていた。


 一瞬正気に戻ったものの、再び彼女は眠ってしまった。

しばらくして真理子さんは病院を後にし、ボクはずっと彼女の隣で彼女の手を握っていた。


9月24日 妻が予断を許さない状態だということもあって、ボクが配偶者という事で、特別にほぼ終日この個室にいる事を許可してもらっていた。

彼女はずっと眠ったままだった。

ボクは彼女の手を握りながら、彼女の知人や友人からのたくさんの問合せに答えたり、今後やらなくてはいけない事を整理したりまとめたりしていた。

結局この日の彼女は、眠ったまま一度も目を覚ますことはなかった。

ボクは夜遅くになってから一度帰宅し、シャワーを浴びて着替えたり、飼っているウサギの「ちくわ」の世話をしていた。

この時のボクは、やるべきことは淡々とこなすのだが、頭の中はなにか白い靄がかかった状態のようで、何をするのにも意識がどちらにも向かない、集中力のない朦朧としたような状態だった。

でもどこか冷静な自分もいて、とても不思議な感覚の中、こんな事を思っていた・・・

1クール目までは良い感じやったのに、なんで急にこうなっちゃったんだろう?

ついこの間、一緒に新しい物件の内見に行けるくらい元気だったのになぁ・・・

ボクの誕生日をあんなにも笑顔で祝ってくれたのに・・・

ボクのお祝いをしてくれるために、きっと無理をして頑張って耐えてくれてたんだ・・・

それを思うとまた自責の念に駆られてしまい、自然と涙が出てきた。

どうか神さま、ボクはどうなってもいいから、ボクの最愛の彼女を助けてください・・・

そう祈ることしかできなかった。


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