ポジティブな気持ちが人を壊すという悲劇
仕事で私が壊れる 人生を搾取する「全人格労働」という記事から。
「全人格労働」という言葉は、産業医の阿部眞雄氏が、著書『快適職場のつくり方』の中で、労働者の全人生や全人格を業務に投入する働き方として定義したものらしい。阿部氏は、これが原因で、過重労働から、うつ病などに悩む人も増えていると指摘している。
例えば、こういうこと。記事から引用させていただく。
広告会社に勤める40代前半の女性会社員の部署に5年前の春、厳しい女性管理職が直属の上司として異動してきた。
その上司はてきぱきとして仕事ができ、最初は憧れの存在だった。だが、仕事の要求レベルがとにかく高く、100%では満足しない。120%の仕事を求め、部下たちの仕事にことごとくダメ出しをしてきた。女性は、数日間ほぼ徹夜で仕上げた企画書も丸ごと書き直しさせられ、営業用のプレゼンのために本格的な映像を何種類も制作させられた。
「せっかくならいい仕事をしよう」「あなたならできる」など、上司の言うことはもっともだ。「前向きでいい言葉」なので、断ることもできない。毎晩終電まで仕事に追われ、土曜日も出勤。貴重な休日だった日曜日は布団から出られなくなった。そんな日々が半年続き、心身が悲鳴をあげた。ある日家を出られなくなり、1カ月入院した。その後も休職を繰り返す日々。女性は言う。「当時は婚活、妊活の最後のチャンスだったのに、そんな時間も気力も持てなかった。今も独身です。仕事に人生を狂わされて悔しいし悲しい」
これの一番の問題は、パワハラとかモラハラとかではないということ。
むしろその対極に位置することが原因である。
ポジティブで前向きな言葉とやったらやっただけの称賛や評価を与える。これって、人間の根源的な欲求である「承認欲求」が満たされるし、加えて「達成欲求」も満足する。
ある種宗教の洗脳に近い。
もしくは、麻薬を打たれて幸福感でいっぱいになる感覚かもしれない。ドーパミンによって興奮し、セロトニンによって幸福感を得ている状態なのだ。
そういう感覚を社員に植え付けてしまう怖さがある。
一度そういう感覚を味わってしまうと、彼らはその「脳内快楽」を求め続けてしまう。それはどういうことかというと、どんどん仕事に没入することだ。
第三者的にこれを読むと「そんなの異常だよ、ありえない」と思われるかもしれないが、本人はその異常さに気が付いていない。
これは、いわゆるソロ男たちがアイドルやソーシャルゲームの課金に異常なほど金を注ぎ込むことと本質的には一緒である。拙著「結婚しない男たち」より。
不幸なのは、パワハラとかと違って、この上司にしたって何も部下を壊そうと思ってやっているわけではないということだ。上司にしてみれば、ポジティブな言葉でやる気を出させ、褒めて育てる気持ちの表れかもしれない。
書店に行くと、ポジティブな言葉の羅列本や「部下のやる気を引き出すリーダー」みたいな啓発本が多く目につく。目につくということは、多分需要があるから出版されているんだろう。
僕は、これを「ポジティブ中毒」と呼んでいる。
ポジティブであること、前向きであること、いつも笑顔でいること。これらは大抵そういった自己啓発本に必ず書いてある。
加えて、「人を妬まないこと」とか「嫌いな人を好きになろう」とか、おおよそ個人的には全く共感できない言葉もある。
個人的には、妬みの感情とか、人を嫌ってしまう感情に無理やり蓋をすること自体異常だと思う。しかし、ああいった自己啓発本は聖書みたいなものだから、自己戒律的に「そうしなきゃいけない」「そうあるべきだ」って思いがちなんだよな。
ポジティブであることを絶対的な正義と考え、それに反する感情や行為を悪だと人に押し付けてしまう。すると、ネガティブ思考の人はそういうネガ感情が湧きあがってしまう自分自身を「ダメな人間だ」と責めたりしてしまう。
それってどうなの?
誰もが松岡修造にはなれないんだからさ。
もともとの記事との話に戻すと、「全人格労働」とはポジティブや前向きを礼賛する奴等が生み出したものだと言えなくもない。チーム力だとか、部下を育成するリーダー像とか、なんかよくわかんない上司像が今流行りだけども、「お前らのポジティブ暴力が誰かを破壊しているんだ」と言いたいけどね。
大体、悪いやつほどよく笑っている。
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