誰よりも生きたかった男たちを殺す「男らしさ」という猛毒
東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」更新しました。
40代独身男は「理想の男性像」に滅ぼされる
貧困、仕事以上に彼らを自殺に追いやるもの
たくさんの方に読んで頂いています。ありがとうございます。
案外知らない方が多いのですが、高齢者を除けば男の死因の一位は「自殺」です。しかもずっとです。
そして、全世界的に女より男の自殺者が多いという事実。日本では女性の2倍以上男の自殺者は多いんです。
タイトルに40代独身男と書いていますが、40代独身に限ったことではなく、既婚も含め男全体に関するテーマです。
「男たちを死に追いやっているものは何か?」
借金?健康?仕事疲れ?
いえいえ、そうではありません。
以前、男の自殺の最大の理由は「男だから」という記事でも書きましたが、男らしさ規範というものがあります。
「男は働くべき」
「男は稼ぐべき」
「男は家族を養うべき」
そして「男は我慢すべき」……。
そんなあるべき男の姿という幻想によって、男は自殺へと導かれている。
但し、誤解してはいけないのは、その「男らしさ規範」を個人の性格や意識の問題と解釈してはいけないということです。
「男らしさ規範がそんなに苦しいなら無理しなくていいよ」という形で個人の意識を変えれば済むという話ではないんです。もちろん、男らしさを捨てて、女らしくすればいいという問題でないことは言うまでもありません(なんかそういう重箱つつきもあるからね…)
便宜上「男らしさ」という言葉を使っていますが、男女性差の話ではないことも当然です。
この「男らしさ規範」とは、いわゆる「結婚規範」と同様に、問答無用で守って当然と考えるマジョリティが存在するわけです。問題はまさにここにあります。マジョリティの「私は正しい」という規範を押し付けるという圧力というか、社会構造そのものが男を自殺に追い込んでいるのです。
本文中でも紹介しましたが、ここでも引用します。
フランスの社会学者エミール・デュルケームは、1897年に発表した『自殺論』の中で、「自殺の恒定性」に着目しています。つまり、多少の変動はあれ、毎年のように同程度の自殺者が発生するというのです。自殺してしまった人は翌年いないにもかかわらず、測ったように一定数の自殺者が新たに発生するというのは、よく考えると不思議な話です。これこそが、自殺が個々人の動機や性格によって引き起こされるのではなく、社会環境の産物であることを示唆しています。
つまり、自殺の原因や動機を個人の問題にして処理してしまうこと自体が間違いで、自殺とは社会の環境や構造が作り出すものということです。
もちろん不景気になれば自殺は増えるという相関はあります。ですが、好景気になったら自殺者はゼロになるかというと違う。好景気に沸いたバブル絶頂期の1989年の40代自殺者数は、2015年の実績よりもむしろ多いのです。
ちなみに本文中でも紹介しまたが、女性の自殺の原因動機は圧倒的に健康問題。内訳をみれば、うつ病などの精神疾患が6割以上ですが、それよりも女性が経済問題や勤務問題などではほぼ自殺することがないという点に注目したいんです。
この記事を「弱者男性論」として勘違いしている人も散見されますが、そうではありません。40代に限れば自殺する人の6割は有職者であり、職業的にはむしろ管理的立場にいる人たちが多い。別に仕事上の負け組といわれるている人達だけが自殺しているわけじゃないんです。
自殺してしまった男たちは、ギリギリまで追い込まれて、心が傷だらけになっても、弱音を吐かず、最期まで必死で生きようとしていた、むしろ、誰よりも生きることに対してまじめでひたむきだったのではないでしょうか。
強すぎたがゆえに、「まだ大丈夫、まだいける」と頑張りすぎて、自分の限界点を超えたことに気付かないまま、無理してしまった人も多いと思います。
男らしさを押し付ける社会とは、あるべき男というアイデンティティの強制です。アイデンティティとは本来個性のはずです。多様性といいながら、統一性・標準性のアイデンティティを暗黙のうちに押し付けて、そこからはみ出した者は異分子として徹底的に攻撃する社会。
「結婚規範」を押し付ける構造とまったく一緒で、独身にいたっては社会から「結婚すべき」「男らしくあるべき」という二重の規範の押し付けがなされるわけです。
押し付けられた規範を苦にせず、自分の中に上手に取り込んでしまう男もいるでしょう。そういう男は自殺はしないんです。
上原多香子さんの夫TENNさんの自殺の遺書が公開され、妻である彼女の不倫だけにフォーカスされていますが、彼はその不倫の原因を作ったのは「男として夫として子どもを作れない自分」というものに対する自責があったのではないでしょうか。そこを自責にしてしまうこと自体が男らしさの呪縛なんです。
もちろんそうした「~すべき」という規範に縛られているのは男だけじゃないし、40代だけでも、独身だけでもない。男も女も老いも若きもみんなそれぞれ見えない「~すべき」に縛られています。
ですが、それを個人が自分の力で解こうともがくこともまた別の「~すべき」という規範に縛られていると言えるのです。
個人ががんばる問題ではないんです。
厚労省の「自殺総合対策大綱」にも、自殺とは社会構造上の問題であるとしていますが、方向性として「生きることの阻害要因を減らす」や「生きることの促進要因を増やす」では実は解決しません。
だって、規範によって殺された人たちは、誰よりも生きたかった人たちなんですから。
ちなみに、東洋経済オンラインの本文下のコメント欄を見てください。人間とはこれほどまでに悪意に満ちた言葉を投げかけられるのか、とびっくりするほど酷いコメントが書かれています。
あそこにこそ自殺を生み出す社会の縮図があります。
※東洋経済のコメント欄は現在なくなっています。