![真田の垢備え](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/3803397/rectangle_large_fd39974d41a2608ea771e65bbb1e9f9b.jpg?width=1200)
今まで脚光を浴びなかった毛利勝永が出ている真田丸は本当に面白い!
今年の大河ドラマ「真田丸」は本当に面白い!
いろんな意味で、歴史好きにはたまらない。前半の主役だった真田昌幸(草刈正雄)なきあとも、毛利勝永(岡本健一)をちゃんとフューチャーしているところがにくい!
いよいよクライマックスの大坂夏の陣を迎えるわけですが、この毛利勝永こそが真田幸村(信繁)以上の戦上手だったことをあまりにみんなが知らなすぎるんですよね~。
みなさんが知っているのは、真田の赤備え軍団が眼前の敵を蹴散らし、徳川家康を討ち死に寸前まで追い詰めたってことだと思います。
確かにそれはそうなんですが、何も真田だけが戦っていたわけじゃない。むしろこの勝永の戦いがあってこそ、幸村は家康に突っ込むことができたんです。江戸時代には、「惜しいかな後世真田を言いて毛利を言わず」と謳われたほど、勝永の戦いぶりは凄まじいものでした。
さて、どれくらいすごかったか、その話を書きます。
ちなみに、毛利という名字ですが、本当も森であって、毛利元就一族とは全く関係ありません。
慶長20年5月7日。大坂夏の陣。布陣図はこれです。
勝永の軍勢は4000。
目の前に布陣した本多忠朝(藤岡弘、演じる本多忠勝の次男)隊からの発砲を皮切りに戦が始まります。
これは当初真田隊と計画していた戦術とは違う形でしたが、本当の戦上手とは臨機応変であること。勝永は戦術をすぐさま変更し兵を折り敷かせ、本多隊との距離が100メートルほどになった時に一斉射撃をさせます。これを受けた本多隊はさっそく出鼻を挫かれます。
続いて、勝永は右の部隊を秋田実季・浅野長重隊らに、左の部隊を真田信吉・信政兄弟に向かわせた。それと同時に本隊を左右に分けて本多隊の本隊に真正面から突入。突撃された本多隊は防戦もむなしく、名のある武将を次々と討ち取られて壊滅状態となります。しかも、そこに小笠原秀政隊が割り込んできたため大混乱。大将の忠朝が自ら槍を振るって防戦するが、狙撃され落馬。忠朝はなおも奮戦したが、毛利隊が押し寄せて遂に討ち死に。本多隊は壊走します。
まず、撃破1。
同時に、毛利隊の右部隊は秋田実季・浅野長重隊らを撃破し、左部隊は本隊と共に真田兄弟隊を敗走させます。
これで、延べ撃破4。
続いて毛利隊は、左の部隊が小笠原秀政隊と援護に来た保科正光隊とぶつかっるも、大野治長隊の一部と後藤基次・木村重成の残兵が小笠原隊を右から側撃したのを勝永は見逃さず、本隊の一部を左から攻撃させこれを挟み撃ちにします。小笠原秀政は槍を振るって奮戦したが、6ヶ所に傷を負って撤退します。彼はその夜に死亡。さらに、長男の小笠原忠脩も討ち取られ、次男の忠真も重傷を負う。これにより小笠原隊は指揮官全員がいなくなり、撤退します。そして保科正光隊も毛利隊の攻撃で大将の正光が怪我を負い撤退。
これで、延べ撃破6。
さらにさらに、毛利の本隊は、榊原康勝・仙石忠政・諏訪忠恒隊に攻撃をしかけ、すぐに敗走させます。徳川軍の兵は次々と討ち取られていきます。その後ろに控えていた酒井家次・相馬利胤・松平忠良ら5300余りの隊に攻撃を開始し、やすやすと敗走させます。
延べ撃破数12。
時を同じくして、真田隊が家康本陣に突入を敢行、蹴散らしていました。つまり、勝永が眼前の敵をすべて打ち破ったからこそ、幸村は家康に向かって行くことができたんです。
幸村に遅れて、勝永も家康本陣に突入。しかし、家康が見つからない。そこに本多忠純隊が攻撃してきたが、勝永は一撃で撃退しています。
なんでしょう、この強さ。
この幸村・勝永の同時攻撃に対して、藤堂高虎隊と井伊直孝隊が救援に来ます。藤堂隊は毛利隊を横から攻撃しますが、これも一撃で撃退され敗走。次に井伊隊が攻撃してきたが、毛利隊は真野頼包らと共に撃退。
もはや無双状態。
延べ撃破数15。
しかし、所詮は数に勝る徳川軍の前に押され、先に幸村が討ち死に。真田隊を破った松平隊は次に毛利隊に攻撃を開始し、これに呼応して一度は敗退した藤堂・井伊隊が息を吹き返してくる。さすがの勝永も雲霞のごとく押し寄せる徳川軍に為すすべなく撤退を決めます。
ところが、勝永はそこからがまたすごい!
撤退中に毛利隊は土手に火薬をしかけておいてそれを爆発させ、それを合図に七手組と共に反撃。これにより藤堂隊をまたもや撃破。どうでもいいけど、藤堂高虎弱いよ。
最終的に、勝永は大阪城まで撤退を成功させ、秀頼の最期を見届けた後で自害して果てます。
最期の最期まで敵には負けなかった勝永。
わずか4000余りの軍勢で2万以上の徳川軍を撃破したんです。3500の軍勢で1万5000の松平隊を抜いた真田もすごいが、勝永がいてこその真田の活躍だったとこれでお分かりいただけると思います。
勝永が撃破した部隊を青×印、幸村を赤×印にしてみました。
一目瞭然でしょう?
大河ドラマで、これがどこまで描写されるかはわかりませんが、こういう事実をふまえて見ると、また格別だと思います。
毛利勝永だって日の本一の兵だったんです。
まあ、でもそんなことを言っていても、大河の最期の真田幸村の突撃シーンで泣きそうですわ。
※参考WEB
「大坂城に散った武将たち」~『城塞』を読む(1月の卓話から)
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![荒川和久/独身研究家・コラムニスト](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/2603514/profile_bcd6d863fd654faf299ddae98b5079f7.jpg?width=600&crop=1:1,smart)