見出し画像

妻の借金をなんとかしようとする夫、夫が借金したら見捨てる妻

配偶者や恋人が返済不可能なほどの借金を抱えたらどうしますか?別れますか?一緒にがんばりますか?

そんな質問されたらどう答えますか?


実は、この質問と調査結果を5/12にツイッターにあげたところ、2293のいいねと1434のRTをいただきました。

未婚男女は、やや女性の方が上とはいえ、どちらもドライです。まだ結婚しているわけではないのですから当然かもしれません。しかし、既婚者では男女で大きく違う傾向になりました。

要するに「妻の借金をなんとかしようとする夫、夫が借金したら見捨てる妻」という構図になります。

「そんなの、夫や妻の年収や貯金、子どもの有無という前提条件によっても異なるだろう」というツッコミがあるかもしれませんが、そのあたりの比較を含めて、なぜ男は妻の借金を抱えようとするのか?について検証しました。それは「なぜ男らしさ規範が強い男ほど幸福感が高いのか?」「なぜ男だけが借金などの経済的理由で自殺が多いのか?」「離婚した男はなぜ自殺が多いのか?」など今までたくさん検証してきたことの辻褄が合ったような気がします。


東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」。非常に興味深い結果が出ています。ぜひお読みください。そして、もしご既婚者であれば、「相手が借金抱えたらどうするのか?」について自問自答していただければ幸いです。


毎度ネタをいただくコメントですが、ヤフコメに以下のようなものを頂戴しました。

筆者が男性であることを強く感じさせる記事だと思います。特に前半の既婚女性の結果が予想に反していたとのくだりや、「金の切れ目が縁の切れ目」が切ないの部分は正にそうです。女性の読者なら、「当たり前ではないか」と嗤い、呆れるでしょう。もう一つ、この記事の主題と思われる「男らしさの呪縛」については男性筆者でなければ、書けないでしょう。いわゆる「男の生きづらさ」の本質ではないでしょうか。然し、多くのメディアや女性からは共感や同意は得られないでしょうね。

>筆者が男性であることを強く感じさせる

→まあ、僕は男性ですから当たり前ですね。しかも、この記事は、無意識に「男らしさ」に縛られているだろう世の男性読者に対して書いたものなので、そう言われても「それが何か?」としか言いようがありません。

 >「金の切れ目が縁の切れ目」が切ないの部分は正にそうです。女性の読者なら、「当たり前ではないか」と嗤い、呆れるでしょう。

→記事内では男女差を明確にするために、「別れる」と「一緒にがんばる」の差分しか提示していませんが、当然既婚女性の中にも「一緒にがんばる」と答える女性は2割程度います(「別れる」が3~4割なので)。2割は決して少ない数字ではありません。女性の読者が全員「当たり前だ」と嗤い、呆れるとは到底断言できませんし、この2割の既婚女性に対しても失礼です。このコメントした方個人が勝手に「嗤い、呆れる」のは自由です。が、それを世の中の女性がさも自分と同じような意見だと断ずるのはわけがわかりません。

>多くのメディアや女性からは共感や同意は得られないでしょうね。

→ これも上の話と同じですが、こういう神目線の言い回し、よくあります。本当は「私は共感も同意もできない」なんですが、なぜか「私」を主語にして発言しないんですよね、こういう人達。「私の意見」であったものを、どういうわけが「世界の総意」にすり替えます。「みんなが言ってるよ」と言い換える。

「私の意見」でいいじゃないですか。僕としても個人が共感できないことをいちいち批判したりしない。そんなのどう思おうが、自由だから。でもこういう人達って、自分が不快に感じたことを、何のエビデンスもなく「私が不快なことは世の中の大多数も不快なはずだ」と盲信するクセがあります。勝手な妄想なんですが、一度そう思い込むとそれが事実だと信じて疑わなくなる。これって実は相当怖いことです。個人の妄想が事実化・社会化されるわけだから。

この方、コメントされた方がどこの部分を不快に感じたかは想像に難くないですが、それを述べることは僕自身も「個人の妄想の社会化」になってしまうのでやめておきましょう。

とにかく言いたいのは、記事にも書きましたが、男にとって「男らしさ」とは、自己肯定感や幸せを感じる原動力でもあるってことです。「男らしさ規範」強ければ強い男ほど幸福度が高いというのは紛れもない事実なんですから。


「だったら、そんなつらい男らしさ規範からさっさと降りればいいのに」という女性がいますが、簡単にそういうことを言わないでほしい。男らしさに依存する男にとってそれはできない相談なのです。それこそが自己の存在理由でもあり、既婚男性にとっては、誰かを養っているという事実が生きがいでもあり、そのための経済力なのです。そして皮肉なことに、自己の生きがいであるそうした「男らしさ」を遵守しようとするあまり、男たちは生きることを捨てててしまうことになるのです。

男は、自己の幸せのために一生懸命「男らしさ」の鎧を作ります。その鎧が立派になればなるほど、重量が増え辛くなりますが、辛いのは鎧のせいではなく、自分の体力がないせいだと思い込みます。そうしていつしか、男は「男らしさ」という鎧だけの存在になっている。鎧を脱いだら、そこにはもう誰もいないのです。

記事の文末に書いた言葉をそのまま引用します。

「笑いと叫びはよく似ている」これは、岡崎京子さんの描いた漫画『ヘルタースケルター』での冒頭の一節です。男たちに至福の笑顔をもたらすのも「男らしさ」であり、同時に、男性たちを苦しい戦いの場へと駆り立て、絶叫のなか死へと誘うのもまた、この「男らしさ」なのです。

その上で元記事を冒頭からお読みいただければ幸いです。


いいなと思ったら応援しよう!

荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。