【FF14】ストーリーに求めるもの
この記事はパッチ7.0までのネタバレを含みます。
2024年現在、パッチ7.xシリーズのストーリーが良くないというのは、多くの人が感じているところなのではないでしょうか。
私は7.0のエンディングで進行を止めてしまってますが、黄金の遺産のストーリーが悪く見えるのは、漆黒のヴィランズからずーっと抱えている問題が解決されていないだけだと思うのです。
だから黄金の遺産を、漆黒のヴィランズや暁月のフィナーレと比較して黄金だけが悪いと評価されるのは腑に落ちない。
半年くらい前に暁月のフィナーレについては記事にしているので、よろしければ一読くださいませ。
さて、本記事では漆黒のヴィランズの良くなかった点を挙げたいと思います。
それは「アルバートとヒカセンの魂が合体する事で世界を救ってしまう」という点です。え?と思った人ほど続きを読んで見てください。
これが良くなかった原因は2つ
1.アルバートとヒカセンが合体するという伏線が露骨であったこと
2.エメトセルクを倒す手段であったこと
①アルバートとヒカセンが合体する事は明らかであった
漆黒のヴィランズでは、世界の仕組みが明らかになります。
原初世界と鏡像世界があり、霊災の度に鏡像世界が原初世界へと統合されていくということ。
アシエンの目的は全ての鏡像世界を原初世界へ統合させ、なりそこないを真なる人にすること。
また、ヒカセンとアルバートの魂は同じ色をしているということがお話の序盤でセトによって語られます。
世界の仕組みについて触れるのは、必要なこと。原初世界と鏡像世界という設定の良し悪しはさておき
漆黒のヴィランズはアシエンの謎に迫る物語であり、後に続く暁月のフィナーレでも重要なファクターです。
が、やはりセトが魂の色について言及する必要は無かったと感じます。
「優しいヒト」に出会って、アルバートを重ねて見てしまうだけで十分なハズ。
つまりこのセリフは
「肉体を持たないアルバートとヒカセンは同じ魂を持っているよ」⇒ということは?
という明らかなアルバートとヒカセンが一体化するという出来事への導線なのです。
「いつかアルバートは何らかの形でヒカセンの魂と一体化するのだろうな」
というのは何となく気付きます。
気付かせているからには、推測とは反するかそれ以上の出来事が起こって欲しいのです。
一体化することが次の物語の展開への一因となってもよい。
この描写を物語の最も重要な局面、とりわけ終わりに持ってくるのであれば相当非凡なことをしなければならなかったと思います。
②アルバートとの合体がエメトセルクを倒す決め手であった
アルバートとヒカセンの魂が一体化するのだろうな、という推測。
そして実際に一体化する事自体は何も問題はありません。
しかしこれがエメトセルクを倒す決め手となってしまうのは良くなかったと思います。
改めて見返しましたが、ヒカセンの罪喰い化を防いだり、最後の一撃がアルバートの武器の形をしていたりと、ヒカセンとアルバートが力を合わせてエメトセルクを倒した演出となっていました。
後者が良くない。
罪喰い化を防ぐだけなら全然良かったと思います。
なぜならエメトセルクは「真なる人」であるからです。
世界の仕組みを知ってしまった以上、「真なる人」を「真なる人」たらしめているのは魂の濃さです。
本来的にアルバートと一体化したからといって、エメトセルクが不完全な「なりそこない」に負ける道理は全くありません。
何が言いたいかと言えば、アルバートと一体化してヒカセンが強くなるのは分かるけど、それがエメトセルクを倒せる理由となるような演出は良くないということ。
というよりは、アルバートと一体化して魂が濃くなったからエメトセルクを倒せたんだ!と感じるような演出は良くないということ。
それは単純に「真なる人」がすごいものであるという事が否定されてしまいます。
真なる人の説明をちゃんとされたからこそ、ちょっと魂が濃くなったヒカセン風情に倒されるようでは、エメトセルクの威厳は途端に消え去ってしまいます。
あなたのいう「真なる人」というのはこの程度?
「なりそこない」が「真なる人」を超えるには魂の濃さ(アルバートと一体化)以外の理由が必要なのです。
要するに武器がアルバートの形をしていない方が良かった。
罪喰い化というデバフを取り払えば「ヒカセン」という存在はなりそこないだろうと真なる人を打ち負かす力を持っている、という演出にした方が良かったんじゃなかろうか。
FF14の抱える問題
FF14のお話が抱える問題点として、伏線が導線になってしまっている点があげられます。
「魂の色」なんていう独特な表現を使ってまで台詞を用意するあたり、セトの台詞は説明でありプレイヤーに何かをお知らせしているものなのです。
伏線っていうのは物語を読み返した時に気づけるくらいで丁度よく、先の展開を予想できるようなものであってはダメだと思います。
そもそも伏線だろうが導線だろうが、アルバートとヒカセンが一体化するのなんてノリで良かったんです。なんで一体化できたんだろう…という理由は後から分かるでも良いし、分からなくたっていい。
エメトセルクを倒すくだりのところも同じ事が言えます。
設定的にはエメトセルクはヒカセンを凌駕する存在だが、そいつを倒せる理屈は分からなくても全然良いのです。
というかプレイヤーが強いから、ヒカセンが強かったからという風にするのがゲーム(遊び)的にはおそらくベターであり、それを小難しく異能バトル漫画みたいにプレイヤーに考えさせてしまってる時点でダメだと思います。
というわけでこちら。(蒼天大好きマン)
このシーンでエスティニアンが救えた理由、オルシュファンやイゼルが見えた理由なんてどうでもいい。
分からなくたってお話は十分に面白いのです。
冒頭に載せた自分の記事にも書いた気がしますが、理屈が分かる方が野暮。
考えさせたら負け。
どうもこれが漆黒の時からできておらず、お話を面白く体験するために必要な演出と不要な演出の区別がついていないように見えます。
(ちなみに紅蓮のお話は覚えてない)
理屈が先行していて、それをプレイヤーに分からせようとするストーリーや演出がされてしまっている。
そもそも伏線なんてものはなく、FF14がしているのは正解(結末)に辿り着くためのヒント出しです。
で、ヒントから想像がつく答えを結末に持ってくるから「はい。そうですか。」で終わってしまいます。
起承転結ではなく、起承結を見ている感じ。
でこのような事が暁月⇒黄金とエスカレートしていると感じています。
つまるところ「説明のし過ぎ」です。
肉体と魂だとか、エーテルだとか、デュナミスだとか、記憶だとか、色んな理論を説明しすぎです。
で、何故かそれらをちゃんと理解すると(理解したつもりでいると)「そうはならなくね?」という事が起きる。
設定を説明するだけならまだしも黄金ではウクラマトが「お前らの事が知りてぇんだ!!」と言う始末です。まだしも…?設定を説明しちゃってる時点で大分アウトですが
いいのよ。気持ちってのは直接言わなくても。セリフで言っちゃだめよ。
一匹狼キャラがのこのこやってきて「俺は人と関わるのが嫌なんだよ」って言ったら「??」ってなるでしょ?なら黙ってろなんです、心情を説明すな。
推測ですが、FF14は理屈ありきの展開ではなく、結末ありきで理屈を頑張って練っているんじゃないかと勘繰っています。でそれが上手くいってないのかなと。そんでもって色んな所(メイン関係ない部分とか)で色んな設定があるものだから収集がつかなくなってそう。
結末ありきで理屈をこねるのも良いのだけど、何故その全てをプレイヤーに見せてくるのだろう…楽しくないなー。
結末ありきだから、思惑だとか動機が弱く「起きなければいけない出来事」がベースとなり、やたらと説明が多いのではないでしょうか。結果としてキャラクターの心情描写がおざなりになりドラマとしては不出来、ヒント出しすぎでサスペンスとしても不出来となってしまっている。
開発の経緯はどうあれ、結果としてお話の本筋が面白く感じられない根本の原因は漆黒の頃から地続きであるのではなかろうか、ということです。
世間的には漆黒は好評っぽいので、漆黒を面白く感じていないというのは私だけかもしれませんが。
以上を踏まえ、FF14のストーリーが良くなるためには
・物語の結末が分かってしまうような過剰なヒント出しをしない。
・無理に理屈を分からせようとしない。
・世界設定を物語の結末に絡めない。(特に形而上学的なものは)
が必要であると考えます。
その上で「この演出しないと分からなくない?」というスタンスではなく
「この時点で分かってた方がいいのかな?分かってない方が面白いかな?」と一歩引いて考えてみて欲しいです。
大事なのはプレイヤーが分かることができるかではなくて、面白いと感じるかではないでしょうか。
説明シーンを省いて隙間が空いたらキャラクターのバックボーンがチラっと見えるようなカットを入れてみよう。
バグージャジャがさ、誰かの落とし物を拾ってる所を見せられたら、キュンと来るでしょ?え?お前ホントは悪い奴じゃないんじゃ…。みたいな。いま必要なのはそういうことだと感じます。
まあゴチャゴチャと書きましたが、こんなパンピーの予想を超える展開を見せるのがプロの仕事ってもんでしょうよ。
一度、進撃の巨人を読んでみて欲しい。
巨人の中に実は人が入ってたんだ!!ってのを物語のオチに持ってこられても面白くないと思いますよ。私は何パッチにも渡ってそれを見せつけられている気分です。
だからさ。
もう、第八霊災を起こしちゃおうぜ。