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記憶と認知のおはなし
見えないモノを見ようとして♪
今日は有名なアノ歌についての解説ではありません。😝
あなたは自分の記憶や認知に自信ありますか?
あなたが今読んでいるこのnote。
明日になって、「前日にこのnoteを読んだ記憶」が絶対に間違いないと言いきれる根拠があるとしたらそれはなんでしょうか。
もう一度別のタイミングで同じnoteを読んだ(見た)事によってその記憶が確実だと認識できる事もあるでしょう。もしくは別の誰かからこのnoteを読んだという話を聞いたときじゃないでしょうか。
他の現象や事実と照らし合わせてはじめてそれが確実なものであると認識できるのだと思います。
また、「視界に入っているはずのものが実は認識できていない」ということも経験はありませんか?
今日はそんな認知に関して私がなんとなーく感じていたことを書いてみたいと思います。
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興味を持ったきっかけ
私が人間の脳って実は曖昧でいいかげんなのかもしれないと初めて思ったのは小学生のときでした。
NHKの科学番組、「ウルトラアイ」で「上下左右すべて逆に見えるメガネ」をかけて一週間生活するという特集でした。
そのメガネをかけると、上下左右がすべて逆に見えてしまうと言うとても恐ろしい代物です(笑)
そのメガネをかけると、すべてが逆に見えるため歩くのもとても危険で、1日目はたしか一日中部屋から出ないようにしたと言ってたと思います。
ところが・・・・ 一週間たたないうちにそのメガネをかけたまま日常生活がおくれるぐらい何の違和感も感じなくなるというのには驚きました。
そしてなんと、実験が終わってそのメガネを外した生活に戻った途端、今度はメガネをかけていないのに前後左右がすべて反対に見えてしまうという現象に陥ったのです。
これは人間の脳がいかに順応性が高いか・・・を示した実験でした。
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私がこの番組を見て感じたポイントは大きく二つでした。
✅ 人間の脳の順応性の高さに驚いた
✅ 人間脳はいい意味でいい加減、マイナスの意味で曖昧、確実性がない
小学生ですから面白いなぁと考える程度だったのですが、大人になって経験を積み重ね,、社会についていろいろ考えるようになって、改めて記憶と認知について思考してみることが多くなったように思います。
私はすべての人がしあわせであってはじめて自分も本当にしあわせになれると考えているので、政治分野では日本共産党を推しているわけですが、さまざまな矛盾(平和の問題、命や暮らしを守ること、米軍基地の問題、原発の問題、環境の問題、コロナ禍対応の問題、税制の問題、統一教会の問題、性暴力の問題、ジェンダーの問題、農政の問題などなど)すべて自民党に起因しているのに投票率が上がらず自民党が多数の議席を取っている現状を何とかしたいと常々考えています。
どうやったら多くの人に伝わるか、投票率が上がるのか・・・
そんなことを考えているうちに脳のメカニズムの不思議さを思い出してツイッターで皆さんの思いや辛さを拝見するにつけ思案してみることが多くなりました。
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記憶はとても不安定
冒頭でお話したとおり、どんなに記憶に絶対的自信がある人でも、その記憶が正しいかどうかは、外的情報がない限りどんどんあやふやな状態になってしまいます。
だからメモを取ったり、ノートに書いたり、記録を残すわけです。
ましてや、公文書の改ざんやその指示についても現物がなかったりまわりから何も指摘されることがなかったりしたら、「あれは夢だったんじゃないか?」「あれは私の記憶違いかもしれない」と考えてしまうかもしれません。
人間の脳はとても自分勝手で、自分の記憶に都合の良い解釈をしてしまいます。認知できないものについても、そのままにはせず、既存の記憶と結びつけようとします。幽霊を見た!などはそういう現象であることも多いのではないでしょうか。
だからこそ記録は大事だといいたいわけです。
例えば議事録など、たとえ都合が悪いものでも後世で検証できる手掛かりを残す意味でも記録を残すことは大事です。
都合の悪い記録は何でも「廃棄しました」で済ませる自民党は、後世への責任放棄という意味で政権担当能力を疑うべきであるほどヒドイと思います。
記録を残さないということは、後の時代で同じことを繰り返すことにつながります。
大事なのは記憶じゃなく記録ですね!
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意識の外にあるものは見えていも視ていない!?
こんな記憶ありませんか?
✅ ペットを飼うことを考え、ペットショップに行くようになったら、町のペットショップや動物の記事が多くなった気がする
✅ 気に入ったブランド品の販売価格などを調べていると、街中でそれを身に着けている人が急に多くなった気がする
✅ 車を買おうとカタログを見るようになったら、自分が買おうと検討している車が町中に急に増えた気がする
これらは、まさに、興味があることはすぐに気づく という現れです。
逆に考えると・・・興味がないことは見ていても視ていない。つまり目には情報として入っているはずだけれども脳が認知していない。取捨選択しているということだと思います。
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SNSでは興味がある情報を表示しますから、さらに顕著に表れると思います。ツイッターなどで政治に関心を持つように訴えていた著名人が、限界を感じて離れて行ってしまったことなどはまさにそういうことなのかもしれません。
期待しているほど伝えたいことが広がらないという理由はこういう脳の仕組みにも影響しているんでしょうね。
そして、このことは政府自民党にも言えることなんじゃないかと思います。
国会で日本共産党の議員さんたちがなんど政府にコロナ禍における経済対策について質問したり、感染対策について質問したり、外交により平和を作り出すための質問をしたりしても、全く聞く耳を持っていません。(もちろんわざとという可能性は大きいですがここは性善説で行きたいと思います)
彼らに見えているのは、いかにアメリカや財界の期待に応えるのかという視点だけなのでしょう。
7月に山際大志郎経済再生担当相が言った「政府は野党の話を聞かない」は本音だったと思います。それがデフォルト、日常の考えだから油断したときにぽろっと出てしまった。そういうことだと思います。
国民のくらしや命、ましてや統一協会による痛ましい被害なども関心がない。だから安倍晋三氏が銃撃されるまで統一教会との関係をおかしいと思っていなかったし、追及されても開き直る態度なんだと思います。
物事は見ようとしなければ本質は見えてこない。
私たちは、様々な物事にアンテナ高く一つ一つの出来事に関心を持ち、見えてくるものを共有・共感しあえる仲間を増やす必要があります。
どうやったら政治に興味関心を持って投票に行ってくれるのか。模索は続きますね。
まずは自分の周り(リアル)の人たちと政治の話をしようっと!
なんだかまとまらない話でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。