藤井風に見るミュージシャンの心・技・体
スポーツ分野でよく使われる「心技体」という言葉がある。この言葉を少々”拡大解釈”してミュージシャンの「心技体」に置き換えてみた。
この記事における”心技体”の定義
心=人間力
人柄、信条・哲学、作品のバックボーン、プライベートなどによる、共感や尊敬、信頼し得る人間的な魅力。
技=技術力
歌唱、ソングライティング、演奏、ダンス、ステージパフォーマンスなど、”本業”の技量、言わば”実力”のこと。
体=ビジュアル力
顔や体型だけでなく、衣装や髪型も含めた外見的魅力やインパクト。素顔の全くわからないメイクや被り物もビジュアル力のひとつ。
心・技・体のバランス
「体」特化型のアイドル
昔のアイドルは多少音痴でも、頭空っぽに見えてもビジュアル=「体」が良ければ、あとは事務所の力で「技」「心」など関係なく売れた人も多い。
今は「技」レベルが上がったばかりか、BTSのように自分たちの考えを国連でスピーチするグループまで現れた。とは言えアイドルに最も求められるのは、疑似恋愛とか育成ゲーム的なファンタジーにふさわしい、キュンとさせる見た目だと思う。
顔を見せないのは究極の「技」勝負?
逆に「体」を売りにせず、「心」もあまり発信せずとも人気のあるアーティストも大勢いる。
例えば、「キセキ」が日本歴代最高400万DLを記録した「GReeeeN」はメディア露出も極端に少なく顔も完全に伏せているし、最近ではAdo、Eveなど顔・詳細プロフィールを公開しないアーティストの活躍も目覚ましい。
「心」を発信しやすい時代
多くのアーティストが自らの言葉で様々なメッセージをSNSで発信している。ヘタな発言で即炎上という危険と背中合わせだが、ファンとの「心」の交流が密になりラポートは深まったはずだ。
心・技・体のバランスが高すぎる藤井風
藤井風と言えば、楽曲、歌唱、ピアノ演奏の驚異的な完成度と斬新さ、さらにMVやライブでの表現力でJ-POP界を震撼とさせた。
その実力はいきなりチャート1位に登場したデビューアルバム、ストリーミング 3億回を突破した「きらり」、再び初登場1位を獲得したセカンドアルバム、さらに世界を席巻中の「死ぬのがいいわ」などで実証されている。
この卓越した音楽的”技”量に加え、好みに関係なく”イケメン”と認めざるを得ない整った顔立ち。181cmのスラリとしたスタイルで「体」も申し分ない。
そして、優しくピュアでお茶目な人柄。素朴で飾らない方言混じりのお喋りや流暢な英語。たまに見せる末っ子特有のあざと可愛さや芯の強さも含め、内面からも多様な魅力を放出している。
心・技・体のすべてが高バランスで美しい正三角形を描いていたのが、藤井風という破格のアーティストだったわけだ。
「心」の突出は諸刃の剣
だが、最近どうも雲行きが怪しい。
当初は「体」つまり彼のビジュアルにガチ恋した女性ファンのリテラシーゼロのやりたい放題に、「藤井風はアイドルじゃねぇ!」とばかりに「技」重視の音楽ファンが嫌悪感を露わにしていた。
だが、そんな他愛のない争いはとるに足らない。別に顔ファンがNGで、音楽ファンが偉いというわけでもない。好きに愛でるなり聴くなりすればいいだけのことだ。
そんなことよりも藤井風がしくじったのは「心」のパラメータが突出し過ぎてしまったことだ。
実家、家族全員、友達やなどの何気ないプライベート画像を公式SNSにアップしたり、自宅での弾き語り、制作の舞台裏まで開けっぴろげに見せてくれる。
「ワシら兄弟姉妹やし」「God Bless Us」など、発するメッセージは一人称複数形。ラブ&ピースな優しい言葉に共感し癒された人も多いだろう。
さらに、マネジャーをはじめ裏方のスタッフまでもが愛ある丁寧な情報発信により、”チーム風”としてファンに親しまれている。
暴走する親近感にバグる距離感
ものの例えだが、住民みんなが顔見知りで仲良しの田舎なら玄関に鍵をかける必要もない。開けっぱなしのお茶の間に集う気心の知れた人たちは、ニコニコとのんびり見守ってくれるだろう。
その感覚のまま、同じことを大都会でやっちゃったみたいな感じがするのだ。気づいたら見知らぬ人々がそれぞれの正義や謎の使命感に燃えリビングを占領してなんか揉めている。
誰もが”良かれと思って”と何かと世話を焼きたがる。自分も”チーム風”の一員、あるいはファン代表みたいな気分で、彼のためを思い、自分が役に立つところを見せたいと奮闘。そこには悪意など微塵もない。
仲裁しようと本人が言葉を発しても公式がルールを決めて収めようとしても、結局火に油を注ぐだけ。善意が受け入れられない悲しみは可愛さ余って憎さ100倍と化し、もう収集がつかない。
真意は定かではないが、余程たまりかねたのか公式Twitter全消しに続き、強めの発言をインスタストーリーに投稿し物議を醸した。
宗教がらみのクレームをマネジメントサイドに提起しようとする者もいれば、それに対して過剰反応を示す者も現れ、それぞれの主張をぶつけ合っている。
「心」の訴求はブランディングや人気維持に有効である一方、最も危険な行為でもあるとしみじみ思う。藤井風は純粋に自分の心をさらけ出すことによって信頼され愛された。同時に彼もファンを信頼し愛していたはずだ。
だが、知名度が上がり様々な人の目に晒される今となってはもう、ファンと自分の心との間に明確な線を引き、ドアにしっかりと鍵をかけるべき時期が来たのではないだろうか?
藤井風は「技」だけでも十分に世界で通用することは「死ぬのがいいわ」のグローバルヒットや、紅白歌合戦でお茶の間のド肝を抜いたパフォーマンスでも証明されている。
彼は宗教家でもアイドルでもなく、ミュージシャンでありエンターテイナーだ。「心」は音楽とパフォーマンスに込めればいい。
アルバムやツアータイトルに特定宗教(思想)の教えをそのまんま使用したのは確かに問題だと思う。特にグローバルに販売する商品や広告には宗教的配慮が不可欠である。
だが、彼の信条の土台が何であれ藤井風というアーティストのフィルターを通したものならば、それは彼の音楽だ。堂々と歌い続けて「技」のパラメーターで突き抜けてほしいと切に願う。
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