わたし、は、わたしにとってのわたし/べこべ
こぬねちは。べこべんてぃぬす こと べこべりあん です。
5週目ともなれば、名前くらいは覚えて頂けたかしら、なんて痴がましい期待をしてしまいます。
本日もよろしくお願いします。
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わたくし、べこべ こと なまもののまま こと 南亮哉 は、ごく一般的とも思えるような動機で、もとい、明確な目的やメッセージ抜きに、自己への興味と理解を最大限に具現化すべく、創作に勤しんでいます。
主な創作は、劇作です。映像として常時閲覧できるものが二つあります。うち一つは音声に不具合があるので、あまりオススメ出来ません。そして、もう一つは、異なる理由で、すぐにはオススメできません。
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理由を述べる前に、いくつか他の創作物について紹介します。
短歌。べこべ名義で動かしているTwitterに、いくつか短歌を投稿しています。塔野陽太御大に師事して、もとい、一緒に遊んでいた名残りです。最近は、Twitter以外に投稿していなければ、Twitterにすらあまり投稿していません。その理由は、戯曲執筆に精を出していたこともそうですが、この六首を詠んだあたりで少し満足してしまった節もあります。
雑誌に向けて、新たに詠もうという気概が生まれながらも、浮上するには、僕の中に沈殿が多すぎることも事実です。時には、愛すべき哀れな僕たちのことも、かき出さなければならない、ということなのでしょうか。
文章。久しく書いていませんが、その時々の文章を載せています。以下に、僕が個人的に好きなものをいくつか紹介します。
僕が大切にしている「質量」という言葉が、僕の中で質量を持った時に書いたものです。「狂気」はすでに僕の中に存在していました。静かではありますが、創作に対しての意識が変わった時でもあります。ここから、ゆっくりと自分について理解を深めることとしました。
僕が普段書かないベタな言葉をフィルターにかけず、素直に書き出している文章です。僕には羞恥心があまりないので、恥ずかしがっているわけではなく、普段こうした言葉を書かないのは、斜に構えて「面白くない」と思い、無駄にこねくり回す癖があるためです。ただ、読み返してみると、今の僕には書けない熱量があり、愛おしいばかりです。
脱力と寂しさが同居した文章です。最近は専ら、力が抜けて読みやすい文章を書けるよう試作を繰り返しています。そして、その試作こそが、僕の愛すべき文章たちでもあります。
こいつらは、僕を僕たらしめるもの達、その一部です。理性のない文章たちです。いるのは口をあんぐりとさせている僕だけで、あるのは愛だけです。
実現にはまだまだ遠いですが、書きながら、または、読みながら、よだれを垂らしてしまうような文章も書きたい。温くて粘り気のある文章が好きです。
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そして、冒頭にお話した映像として残る演劇。音声に不具合があるのは、朗読劇『異枼』。もう一方が、演劇作品『||||°C°|L|L』です。
真っ先にオススメできない理由は、端的に言って、「観客の作品理解を度外視した」作品だから。
2022年3月に開催された劇団しろちゃん冬私演『||||°C°|L|L』(読み:しどどるる)は、僕の初めての長編作品です。「どんな話か」と聞かれれば、長々と話すのが面倒になって、「よく分からない話だよ」と作者の僕が投げ打ってしまうような話です。もう少しだけ分解すると、「端的に説明できない作品は面白くない」という言葉に深く頷きながら、気にすることなく、書きたいように書き、やりたいようにやって、とことんふざけた作品です。
この作品を一区切りとして、最近は、「わからない面白さ」ではなく「わかる面白さ」を意識して書いています。
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僕は、「よくわからないけれど、なんかたのしい」作品が大好きです。
「完全な理解を得られない作品」は、自分の思考が作品を生かしも殺しもしているようで、他にない魅力があります。受動的な現代で、思考することの面白さを押し出したい。余白を残して、それに対し、とやかく言っているのを眺めていたい。「よくわからんけど、おもろい気がする」と言ってもらいたい。当時は、そんな風に考えていました。
また、知識を前提とする場合でも、「わからないものをわからないままに楽しむ」という体験は、その瞬間にしかありません。知ることで得られる面白さの方が圧倒的に濃密であることは確かですが、ある種の純粋な可笑しさを失ってしまう気がします。それが例え滑稽であれ、僕は笑い、楽しみたい。「ああ、いま僕は無知なのだろう」と思いながら、知る人々をも笑いたい。知るのはそれからでもいい。僕は古典や歴史にほとんど興味がなく、ただそこに面白さがあることも知っています。その背景の存在を認知し、初めてそこで知ろうとする。先んじて知る努力が僕にできないことだと気づいてからは、他の部分で努力することにしました。
『||||°C°|L|L』は、そんな諦めを是とするための演劇作品でもあります。
気の置けない人との会話であれば、楽しくともわからないことがあれば、笑いながら「そういうのがあるのね」と言います。それに対して彼らは、特に気にすることなく、素直に教えてくれます。また、僕の発言に対して、彼らがそうして聞いてきた時、僕も同様に振る舞います。恥ずかしいことはありません。ただ、知らなかっただけなのです。
『||||°C°|L|L』に必要な前提知識など、ほとんどありませんが。
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という風に捲し立ててみても、『||||°C°|L|L』が楽しく見られるかどうか、よくわかりません。
正直に言って、僕も好きじゃないシーンが冒頭に少しだけあります。これは、当時の僕の演出/脚本能力が足りなかったためだと自負しています。ただ、それを以てあり余るほどに、僕の大好きな遊びばかりが詰まっています。僕のたくさんが詰め込まれています。
結局、僕がこの作品を素直に勧められるのは、「あなたの(よくわからない)作品が好きだ」と言ってくれる人だけです。「なまもののまま本舗」があれば、お得意様限定のコーナーがあり、その中でもショーケースに入れられている、そんな作品かもしれません。
などと例えてみましたが、やはり頻繁に思い返してしまうような作品でもあります。僕自身、アタマからケツまで映像を見たことは(映像の演劇を見ること自体がしんどいので)ありませんが、脚本は何度も読み返してしまいます。
僕のたくさんが詰め込まれ、あの頃の僕がすべて詰まっている。
長々と書いてみたものの、言ってしまえば、それだけのことでした。
小さな夢は、僕が一番好きなシーンを当ててもらうことです。
(追記:戯曲利用が許可されたので、是非、戯曲だけでも読んでください)
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例えば、僕の作品について、
「これはないだろう」と罵り、
「これがやりたいだけだろ」と呆れ、
「おもろいとこもあるんかい」と突っ込み、
「で、これはなに?」ととぼけて、
「おれもわからん」と笑い合う。
そんな一幕を共に過ごせたら、と心から祈っています。
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書き手:べこべ
テーマ:自己紹介・それぞれの創作物
●べこべが書いたその他の記事はこちらから
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ウィーンガシャン派のリレーブログ。
今週のテーマは『自己紹介・それぞれの創作物』
明日、木曜日は「竹原 達裕」が更新します。
ウィーンガシャン派は11/20(日)文学フリマ東京35に出店予定です。