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大学講義ワンショット4 ジミー・カーターの再評価

ジミー・カーターが100歳の誕生日を迎えた、と知りました。
カーターは1977年から、81年の1月にロナルド・レーガンが就任するまで、4年間、1期のみの大統領として、これまで評価の低い大統領でした。

国際経済学者、Jeffrey Frankelが、PSでカーターの再評価を求めました。

当時、中東紛争と石油価格の高騰、インフレと高金利、景気悪化に苦しむアメリカ国民にとって、カーターの再選を好む理由はなかったようです。
しかしフランケルは、インフレを起こしたのはカーターではないし、インフレを抑える点で、ポール・ボルカーを連銀議長に任命し、その高金利政策も支持した、と高く評価します。

レーガンは、冷戦に勝利し、規制緩和や自由化・民営化をマーガレット・サッチャーとともに推進した、保守革命の指導者とみなされています。
他方、カーターはテヘランのアメリカ大使館占拠事件で人質解放に苦慮し、アメリカの弱さを露呈した大統領として嫌われました。

しかし、フランケルはカーターを再評価するべきだ、と考えます。
・・・カーターによる運輸・通信業界の規制緩和は、現代のアメリカ経済を一変させた大きな変化の始まりとなった。まず、1977年に航空貨物業界の規制緩和を行い、フェデックスなどの企業による速達便の道を開き、後にアマゾンが小売業界に革命を起こすことを可能にした。

1980年のCIAによる救出劇も、人質やアメリカ人への悪影響を考慮して、カーターは全容を公表しなかった。再選に向けて、その成果を誇ることもできたはずですが、彼はそうしませんでした。
逆にレーガンは、顧問をテヘランに派遣し、大統領選挙の日まで人質を解放するな、と、その見返りを含めて約束したようです。それは、バイデンの息子の悪材料を探すようゼレンスキーに電話し、ウクライナへの軍事支援をストップすると脅したトランプの姿に重なります。

国際政治学者、Stephen M.Waltも、FPでカーターの再評価を求めました。

カーターの忍耐強い外交により、最終的に人質全員が無事に帰国できた。
レーガン政権が配備した主要な兵器システムのほとんどは、カーターが実際に承認したものだった。
カーター政権下で、米国はもはやベトナム戦争、ウォーターゲート、CIA とではなく、再び西半球の自由と結び付けられるようになった。
彼の外交政策上の最大の功績は、もちろん、エジプトとイスラエルの和平プロセスを主導したことである。・・・ほとんど全員が同じことを言った。「カーターがいなければ、和平条約はなかった」

・・・今日、あなたのような人に投票できたらいいのに、とウォルトは思います。

私が尊敬する国際マクロ経済学者、Richard N. Cooperは、ケネディ政権で大統領経済諮問委員会の上級スタッフ、カーター政権では経済担当国務次官でした。
クーパーは国際政策協調論、ある意味では、国際政治経済学の開拓者の1人であったと思います。
2020年、フランケルによる短い哀悼文は、そのことを明確に書いています。

カーター、クーパーの時代がこれほど遠くなったことを、私はとても残念に思います。

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