見たことのないものを描けるか?
村井です。「エンタメ業界知財お役立ち情報」の第2回目となります。
前回は、米中貿易摩擦のニュースをきっかけとして知財の重要性について考察しましたが、今回は、知財侵害の一つの類型である「模倣」について書いていきたいなと思います。事例としては弊社に一番身近な著作権を用いていきます。
引き続き、知財に詳しい方、同じように勉強中の方など情報交換させていただけますと嬉しいです!
さて、模倣について皆さんどんなイメージをお持ちでしょうか?
多くの方が、良くない、許せない、理解できない、自分で創造しろ、、などネガティブなイメージを持っていると思います。
具体的によくニュースで話題になるような模倣品や模倣キャラクターなどを思い浮かべて嫌な気持ちになる方もいるでしょう。
僕も同じように思う部分もあるのですが、一方では違うことも思っています。
1.著作権と模倣
著作権といってもそこには多くの権利が包含されており、それぞれが対象とする行為も異なりますが、その一つとして「複製権」があります。著作権が英語で「copy right」ということからもこの複製権が基本的な権利ということがわかりますね。
複製権とは、「無断で著作物を複製されない権利」ですが、違法コピーや海賊版漫画、DVDなど単純な「コピー」から、模写などのいわゆる「盗作」「パクリ」といわれるような行為も複製に含まれます。
また、「ある著作物に新たな創作を加えた別の著作物」=「二次的著作物」というものもあります。外国作品の翻訳や漫画原作の映画、ゲーム化などがそれにあたりますね。「無断で二次的著作物を創作されない権利」=「翻案権」です。
これらをひっくるめて「模倣」というとして、何が著作権侵害になるのかはケースバイケース、判断が難しい場合も多く実務上も論点になることが結構あります。法律や判例などから適切な理解、解釈を持っておく必要があるということですね。
例えば、以前ニュースになった2020東京オリンピックエンブレムの著作権侵害問題ですが、実際には著作権侵害は成立しないといわれています。つまり、法的には著作権侵害ではないのに、世の中の論調として著作権侵害しているような空気となり、それが制約となって取り下げになったということです。
実際に佐野さんが模倣行為をしたかどうかは定かではなく、そういった行為がなかったのだとしたら、この一連の流れは残念ですし、他にも同様の事例はあると思います。
2.個人の利益と公益
著作権法の立法目的は、著作権法第1条に記載のとおり「著作権を保護することで文化の発展に寄与すること」です。つまり、個人の著作権保護(私益)を文化の発展(公益)に繋げること、私益と公益のバランスをとること、です。民法にも同じような目的がありますね。
確かに、何年もかけて苦労して生み出した漫画が、真似されて出版社に持ち込まれて他者名で出版され収入も入って来なかったら、誰も漫画家になりたくないし、その結果素晴らしい面白い漫画が生まれなくなり、僕たちが面白い漫画を読んで楽しむことができなくなっちゃいますよね。
一方で、東京オリンピックエンブレム問題もそうですが、過剰な模倣の制約(法律による規制だけではなく)が公益となるのかということも思ったりします。
現在、インターネット上には著作権侵害をしているコンテンツが溢れていると思います。一方で、メディアを通じて、著作権侵害ではないのに著作権侵害と非難される事例もあり、これを恐れて自由な創作活動が制限されている一面もあるんじゃないかと思っています。
この状況は、私益は適切に保護されていないし、公益にもなっていない、本来守らなくてもいい私益が守られて、結果それが公益になっていない。インターネットの発展により多様な著作物が身近にある現代、やはり著作権を適切に理解することが求められてきていると感じます。
3.模倣と創造
タイトルの「見たことのないものを描けるか?」という問いについて、皆さんは描けますでしょうか??
描ける!という方もいるかも知れませんが、僕には難しいです。。
例えば、宇宙人を描くとタコ、クラゲ、人、カマキリやカエルっぽかったりします。大体の人がどこかで見たことのある、よくあるイメージ通りに描くと思います。また、誰かはわかりませんが、最初に僕らがイメージするこれらの宇宙人を描いた人についても、全体で見たら見たことないかも知れませんが、それぞれのパーツとなると、人、タコ、クラゲやカマキリといった実在の生物ですよね。それらの組み合わせだと考えられます。まあ、だからこそ僕らが受け入れやすいということだと思います。
同じような話は、宮武久佳さんが以下のように言及されていて、龍や天使の事例など含めとても興味深いです(宮武久佳 著『正しいコピペのすすめ』岩波ジュニア新書、2017)。
もしかして「創造の秘密」とは私たちが過去に受け取った何かが組み合わさって、フュージョン(融合)を起こし、表現される点にあるのではないでしょうか。つまり、創造とは「無から有」ではなく、「既存の素材の組み合わせ」なのかもしれません。そして、何をどのように組み合わせるのかというその方法にこそ、私たちが通常「創造」と呼ぶ行為があるように考えられないでしょうか。
経済学者のシュンペーターはイノベーションを「新結合」と言っており、以下のとおり物や力の結合変更(組み合わせの変更)と言っています(J・A・シュムペーター 著、塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一 訳『経済発展の理論』岩波文庫、1977)。
生産をするということは、われわれの利用しうるいろいろな物や力を結合することである。生産物および生産方法の変更とは、これらの物や力の結合を変更することである。
よく出る事例として、ヤマト運輸の宅急便がありますが、これは既存のトラック運送資源に、酒屋や米屋などの商店に取次店になってもらう仕組みを組み合わせて個人宅配市場を開拓したイノベーションですね。
創造は既存の知や資源の組み合わせから生まれる。つまりその背景には「模倣」がある。モーツァルトやシェイクスピアの有名な作品も模倣から生まれたといいますからね。だからこそ、適切に著作権を理解し、法律に反しない私益を守り公益に繋がる範囲で模倣し創造していくことが求められるのだと考えます。
ではまた!
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