街中のベンチに座った時に感じる背もたれの頼りがいは時折親父の背中を抜く。

はい、こんにちは!フーです!

本日はちょっと物騒なお話をします。


地球の上にはたくさんの人が生存しています。
そこでは人々は皆、共に暮らしています。
つまり、“共存”しています。
みんながお互いの気持ちを図り、重んじて生活をしています。
つまり、“思いやり”を働かせています。
人々に少なからずこの意識が備わっているからこそ“社会”が成立しています。


しかし、どうでしょう?


“対立”、“衝突”、“争い”、“闘い”、“戦争” etc...
これらの言葉を見聞きしない日はないですね。

ヒトも人間とは言えどやはり動物なので、どうしても利己的な性質は隠せません。遺伝子には“生き残ること”が最優先の目的とされているのでしょう。

お互いが自分の大切なものを守るために争いが生じるのです。
でもそれは“生き残るため”に必要なことなのです。
“生きる”のではなく、“生き残る”です。
争いが嫌だからと言って争わず、終いには自分が死んでしまったら元も子もないでしょう。
何か飲まないと危険なほど喉が渇いている状況で、目の前には水道水があるのに、『俺ミネラルウォーターしか飲めないからいらない』と言ってるようもんだ。


要するに、“争い”がない社会など存在しない。



そんな私も、とある争いに巻き込まれている。
その争いは遠い昔から起こっている争いではないが、私がこの世に生まれてから物心ついた時には既に存在していた。

『きのこの山たけのこの里戦争』


初めは、私も中立の立場でいた。
しかし、とある出来事をきっかけに立場を明確にしなければいけなくなった。

昔、ある日の出来事。

私が高校から帰宅した。
着替えや片付けなどをあらかた済まし、小腹が空いたので何か摘まもうと冷蔵庫を開けた。

そこに鎮座していたのは、そう、『きのこの山たけのこの里』のアソートパックだった!
既に開封されていて、少しばかり食べられた形跡はあったが、まだ残りも十分あった。
「きのことたけのこ、どっち食おうかな?」なんて考えていた。

私はきのこを選択した。あとででもたけのこ食べれるからなんて思いと共に。(浅はかな思考だった.......)

この時点ではどっちが“スキ”とか明確な線引きは持っていなかった。
むしろどっちも“スキ”だった。

その時が来た。

しばらく経って、また小腹が空いたので次はたけのこでも食べようと意気込んでアソートを開いた。

『見当たらないんだ、たけのこが。』

少し我を忘れるくらい漁ってしまった。

『見当たらないんだ、たけのこが。』

自分は寝ぼけて探せてないだけで、良く探せばあると思っていたが、
数分もこんなことしてたおかげで、正直、バキバキに覚醒していた。

血走った眼前には大量のきのこたち・・・きのこしかない・・・・これが・・・・・“きのこの山”か.....

現実を受け入れるまで長くはなかった。

こうして私は無条件的に“きのこの山”軍に参画したのだった。


【教訓】
自分の大切なものを守るために争いが起きるのは自然だけど、相手の大切なものを奪うために争いを起こすのは不自然だよ。
理想は、『Win-Win』な関係、『Give and Take』な関係なんだ。
思いやり、支え合い、持ちつ持たれつ......相方向的な。
キーワードは『相』かな?そんな関係。
そこから産まれた余ったものが利益なんだ思う。
一方向しかないベクトル(欲望)は不自然な争いを生む。
欲望を、[抑えられない・捨てられない・忘れられない] それが人間の欠点だということを、私たちが去りし未来のためには戒めなければいけないのかもしれない。



みなさまは、『きのこの山』と『たけのこの里』どちらが“スキ”でしょうか?


これを読んでくれている諸君には是非とも私が属する“きのこの山”軍に加勢してほしいと願っている。

この狂気染みた私のきのこの山軍勝利への思いよ届けっ(笑)

武運を祈る!

それじゃ、またあとで!

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