なにもない、この街の片隅で。
(2023/4/28 加筆修正しました。気まぐれで読み返したら誤字がひどいぜ…
渋谷のど真ん中、一人でポツンと佇んでいると、誰のものかも分からない肩がぶつかる。お互いに声を掛け合うでもなく、そのまま通り過ぎる。その繰り返しだ。
人生というのはそんな感じで過ぎていく。
大体の人はぼくのことを知らないし、大体の人をぼくは知らない。それが当たり前だと思っているし有名人になりたいわけでもない。でも、なんだか。
ちょっとだけ寂しい。
居酒屋で知らない人と隣同士になって他愛もないことで話が盛り上がったり、つまづいた人に手を差し伸べたり、お隣さんに醤油を借りたり、そんな血の通った人間関係がぼくは好きだ。でも今はもうない。
(※2023年現在お隣さんに醤油は借りたくなくなりました。2年前までそんなこと思ってたの?とビックリ。多分この2年間で自分を知ったんでしょうね、ぼくはすごく人見知りだと。話すことは好きだけど”はじめまして”のアノ独特な空気感がたまらなく苦手で、実は他人にすごく気を使ってるなぁ自分と思ったタイミングがあって。それからは「話好きの人見知りおじさん」を名乗ることにしました)
話す、というコミュニケーションツールは一人では無意味だ。自問自答は時に自分を苦しめるツールに成り果てる。真綿でゆっくりと首を締められるような、そんな感覚だ。タチが悪いったらありゃしない。
ひとりでいる事は楽なことが多い。誰に怒られるでもない、自由気ままな生活だ。だけど、楽しいことや悲しいことを共有できる誰かがいないってことは結構寂しい。ふと夜更けにブルっと来る。あぁ、歳だろうか。
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気にしていないあれこれ
基本的にぼくは気にしいだ。そして未来を予測する能力に長けているらしい。このまま進めばこうなるから、じゃあこっちのルートを選択しようといった具合に、日常生活で無数にある2択を瞬時に判断している。
とはいえ、これはどんな人もしている事だから長所だと胸を張って言えることではないんだけれど。
普段気にしていないことでも突然何かのキッカケで気になってしょうがなくなることがある。壁際の埃、お風呂の黒ずみ、ガス台の油汚れ、気になったら止まらない。
が、10分も経つと忘れていたりする。というか他に気になることができていることがほとんどだ。
だから引きこもり生活をしている時なんかは、なーんにも考えずに動画ばかり観漁っている。そうして1日が過ぎていって新しい朝を迎える。
ぼくが気にしていないあれこれで気を病んで苦しんでいる人もいる。でも、ぼくのアドバイスが効くかはわからないし、アドバイスが欲しいかもわからないから見て見ぬ振りをするんだ。関わったら最後、気になってしょうがないからさ。
あ、健康保険払ったっけなぁ。気になってしょうがないや。
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気狂いのディスタンス
人との距離というものをこんなに考えたことが今まであった?ぼくは子どもの頃からいつも考えていて。いわゆるパーソナルスペースというのかテリトリーというのか、それが異常に広いんです。
前にも書いたかもしれないけど、レジに並んでいる時に後ろに並ばれるのがとっても苦手で、真後ろに並ばれると左右どちらかにズレるんです。そうするとそれに追随して後ろの人もズレる。
お前は金魚のフンか!といってやりたい。頼むからやめてくれ。
アレってきっと無意識に付いて行っちゃうんだと思うんです。右にならえ的な感覚が遺伝子レベルで刷り込まれてるんじゃなかろうか。はたまた見えないN極とS極で繋がっているのか、運命の赤い糸で結ばれているのか。
いや、やめてくれ。
エスカレーターなんかは最低でも2段分あけている。できれば3段くらいあけたい。好きな人なら0段くっつきたがりになるんだけど、もう6年くらいときめきメモリアルが無いので、その感覚を忘れてしまったんです、残念。
去年から続くパンデミックでソーシャルディスタンスが叫ばれていて、ぼくにとってはとっても過ごしやすい世の中になっていて。苦しんでいる人もたくさんいる中でこんな事言っちゃいけないんだろうけど。
でも、実はこう思っている人って結構多いんじゃないだろうか。
この機会に心機一転頑張ってやろうだとか、今までの自分に世の中がやっと追いついてきたぜこの野郎とか思っている人、いると思うんだよなぁ。
声高には言えないけどさ。
世の中が変わるのってこういうパンデミックだったり何かしらの天変地異が起こらないとなかなか変わらないのが本質だったりする。でもそんなことが起こるのを待ちわびるのは不謹慎だし、一生のうちに来るかなんてわからないわけで。だったら自分が先に変わっちまえばいいやって思うんです。そして自分の周りから少しづつ変えていく。
それでいいんじゃないですかね。
世の中を変えてやろう!と意気込んでいる人がたくさんいる。
そんな人たちの様々な活動があって、その多くが世の中を良くしたい!だったり人々の暮らしが豊かになって欲しい!という想いでいると思うんだけど。
まずは自分じゃないですかね。そして手の届くところから変えていく。
そんな活動で十分です。あくまでもぼくは、です。
だから、焦る必要はないし、自分の人生は自分が主人公じゃないですか。癒すのも傷つけるのも自分次第でどうにでもなるわけです。
自分という物語の脚本を上手ーくこねくり回して書こうなんて思わずに、でも、自分には少し甘いくらいで書き進めたほうが、人生がもっと楽しくなると、ぼくは思っています。
ぼくの場合ちょっと甘すぎなので、そろそろムチを入れるタイミングかもしれませんけど、今も安定のソファー毛布包まり星人です。あはは。