考えるということ。
考えるって自分を見つめる作業だ。
感じたものがふと口をついて出た。実は哲学書を1度も読んだことがない。ソクラテスもニーチェもプラトンも誰の言葉も文章も知らない。
あえて読んでこなかった。子どもの頃から興味があったものの、自分に哲学的なものがあって他の考えに触れる事にちょっと後ろ向きだったから。
考えることをひたすらに考えた結果、自分を見つめることを突き詰める作業だなぁという答えっぽいものにたどり着いた。
自分の思考回路を把握できるのは現代科学では自分しかいない。そしてそれを伝える手段は言葉や文章しかない。今のところは。
もし、今後文明のビックバンが起こり続けていけばテレパシーなんかで伝わっちゃったりするのかもしれない。その頃ぼくは燃えカスとなって、地球上のどこかに存在しているだろうから特に心配していない。
自分を見つめる、対峙するって少し怖い。だって弱さも見なきゃいけないから。弱さって他人に見せたくない。だから自分でコッソリ見ようよ。チラッと見ながら少しずつ対峙していければ万々歳だ。
物事を一気にはじめたり解決しようとすると、ロクなことが起こらないから、自分のペースを見つけよう。
世間的に強く見える人はきっと自分の弱さを分かっている。対峙している。理解している。
その弱さがあるからこそ強くなれるんじゃないかな。
強さと弱さを兼ね備えると、どうやら優しさというものになって人々を勇気づけたり寄り添ったり出来るらしい。どちらか一方ではダメなんだって。
弱き人には強さが足りず、強き人には弱さへの理解が足りず。どちらも持ち合わせるのってそんなに難しいのだろうか。
いや、難問奇問じゃない。
考えれば良い。自分と向き合って、自分を知ることからはじめよう。そうすれば、あなたの中の弱さも強さも見えてくるんじゃないかな。
考えることをやめてしまって、受動的に他人の意見ばかり受け入れる事を続ける前に、自分を受け入れようよ。
信じている人が土砂降りでも傘をささないよって言ったらあなたも傘をささないの?ビチャビチャになって洗濯物が増えて大変なのは自分だし、風邪を引くのも自分。実はその信じている人はあなたを守るつもりなんてないかもしれない。
自分を守れるのは自分だ。
それを分かった上で、心に余裕が出たその時に、見返りを求めない優しさが生まれるんだって。横入りされてもイラつかないってこれが出来てるからかな。
優しいひと。ぼくはそんな優しいひとでありたい。
みんなの中に哲学はあるし、みんな哲学者だ。
考えてるでしょ、たくさん。だからあなたも哲学者だ。
ムッタは月でムチャクチャ考えてる。ヒビトは地球で自分と対峙してムチャクチャ考えた。そして動いた。そういう事だなぁ。
自分を見つめる作業を繰り返しながら、これからも考えていきたい。
さまざまな人に出会うために旅をしようと思っています。 その活動をするために使わせていただきます。 出会った人とお話をして、noteで記事にしていきます。 どうぞよろしくお願いいたします!