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見直しとチキンタツタが生んだnote
小学生の頃から「見直し」は苦手だった。
読書感想文は書いておしまい。
テストは時間ギリギリまでやっていたか最初から諦めていた教科もあったので、そもそも見直しする時間なんて考えもしなかった。
で、今。やっぱり書いた文章を見直すのが苦手だ。
その辺は小学生の頃から変わっていない。
編集者がいるわけでもないし、ちらほら見かける添削サービスを使うこともない。編集者を挟むほどの読み物でもないし、お金をかけて自分の文章の校正などをしてもらう余裕もない。どちらも興味はある。
だけど今のぼくには必要がないと思っているから、どちらも遠い存在だ。
その代わりに書いている文章のほとんどが今までの「人生の見直し」をしていることに気づいた。
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読書感想文やテストなどの見直しが苦手だったぼくは、今まで歩いてきた道を積極的に振り返ることもしてこなかった。全くしなかったと言うと嘘になる。
ネガティブ思考が襲ってきた時に振り返ることがほとんどだった。時期が時期だから振り返る場面も景色も、どんより暗い場面ばかり思い起こされて、ネガティブの渦から抜け出せなくなる事が多かったのだ。
だからその作業をいつからか怖いものだと自分に思わせていたのだろう。
noteを始めた時には、日々思っていることを書き留めておきたいと思っていたし、今もそう。記事にスキ!を付けていただいたタイミングでたまに見直しをする程度だ。
そんな見直しに入らない程度の作業を繰り返しているうちに、ぼくのnoteの記事自体が「人生の見直し」の作業を担っているんじゃないかと思ったのだ。
半分くらいの記事が何かしらのキッカケをぼくにくれた人たちや物事のことだったからだ。
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記憶することも思い出すことも苦手だと自分が思い込んでいただけで、しっかりと頭の中には記憶の引き出しがちゃんとあったのだ。その引き出しの場所に立つ前から、自分にレッテルシールをペタペテ貼ってがんじがらめにしていたのかもしれない。
物はすぐ失くすし約束の時間を忘れがちだからスケジュール帳とにらめっこすることが多いのは苦手として受け止めて、少なくする努力は日々している。これは、一生のお付き合いだと腹はくくったよ。
今だって思い出すことが嫌な事もたくさんある。未だに解決できずしこりが残ったままの出来事もある。そんな中でも、ぼくにとって文章を書くというアウトプット方法は「人生の見直し」だけではなく「今後の人生設計」にも役に立つはずだ。
今までもそうだったように、これからもたくさんの人や物事に接する機会が訪れる。そんな時、過去の自分からのメッセージとして文章は役に立つと思う。
今のベストを書き残すことで、未来の自分が見直しした時にどう思うかも楽しみだ。多分見直しが今よりも上手くなっているだろうから赤面ものだとは思うけど。
(幡野広志さんのオマージュだよ。だってぼくには子供がいないからね)
やっぱり見直しは苦手だ。今もすぐに公開設定のボタンを押したい。
が、一旦キーボードから手を離し、マクドナルドのチキンタツタを買うために散歩に出かけてからでも遅くはない。見直しチャンスだ!
満腹になったあと、文章を見直した。
誤字脱字の発見や加筆修正して、リンクも貼った。
人生の見直しでは過去の出来事への加筆修正はできないけど、今現在の自分の立ち位置と将来の方向性の見定めには、マジで役に立つ。
マクドナルドで一息入れてよかったよ。マジで役にタッタ、チキンタツタ。
いいの?こんなオチで。
これが今のぼくに出来るベストなnoteの使い方であり、ベストな親父ギャグである。
未来のぼくの赤面っぷりを想像しながら公開ボタンをポチることにする。
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