病気から学んだこと
当たり前のように 家に帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、明日の準備をして、あれやこれや少し先の未来の事を考えて楽しみにしたり、ちょっと嫌に思ったり、そして、安心して目を瞑って明日を待つ。
この一連の事 どれだけ素晴らしいことなのか。
決して当たり前ではない。とても恵まれていると思う。
思えば昔から人の目を気にしすぎたり、「普通」であることに固執していた気もする。あとは、「○○せねばならない」という変な頑固さも持ち合わせていた。
はじめての教育実習。できない自分で自分を追い詰めてしまい、この当たり前を無くしてしまった。自分が自分で無くなってしまっている事にさえ、気付かない程に壊れてしまった。今になると、初めてだからできないことこそが「普通」なのだが。
次の日のことを考えると寝れなくて、寝不足の日を重ねて、準備もろくにできていないから学校では常に緊張状態であった。出勤時間が近づいてくると頭の中で分かるからなのだろうか、何かに追われているような気がして、捕まえられて殺されてしまうという幻想に苛まれて、いつも逃げていた。大きい声も出していたと思う。
異変に気付いた父母のおかげで、病院に行き入院して、なんとか戻る事ができた。今でも服薬中ではある。
そんなしんどい時には、携帯すらも見るのが辛くて誰とも関わりを持ちたくなかった。外にも出られなかった。周り全てが敵に見えた。責められているような気もしていた。日常生活も苦しかった。朝起きるのが辛い。ご飯の味もよく分からない時もあった。薬を飲む為に、胃に物を流し込むように食べていた。1番大変なのは、お風呂に入る事だった。何もかもに無気力で世界は真っ黒だった。明日のことなんて考えられなかった。1時間先も分からないのに。気付けばすぐに、昔の事を考えた。あの時は良かったのに、あの時の私はどこへ行ってしまったの?と自問自答を繰り返すしかなかった。悔いてもしょうがないのにそれ以前の生活のことばかりを考えた。私自身も辛かったが、同じ様に周りも辛かったことと思う。何を言っても何をしてもマイナスにしか考えられない私と向き合うのはかなり辛かったと思う。
即日入院した時の事を思うと、かなり人格も壊れていたと思う。ただの精神科での検査なのに、「殺される!ごめんなさい!」そればかりを繰り返していた。医者も判断に困ったが即日入院だったのだから客観的に見てもおかしかったことは明らかだ。
入院中に、同じ病棟の人とと話すことがあった。20代ほどの若い人もいて、驚きと安心があった。精神科というと怖い所のように思うが、私が行った病棟は比較的優しい良い人が多かった。一緒にオセロをしたり。あの時は私がやっと現実から離れて心にゆとりを持てた時だった。
また、病院実習に来ている看護学生とも出会った。ここまでに来た経緯を話すと、同じ実習という境遇があるからか妙に同情させてしまって、涙目になっていた。
退院するときは、前の日にスペシャルメニューを食べさせてもらって、そのメニュー表を看護婦さんに頼んで持ち帰った。オセロを一緒にした人たちや声をかけてくれるおじさんおばさんたちが退院するときも集まってくれた。なんだか嬉しくて悲しくて泣いてしまった。私の夢も「絶対に叶えてね。」と言ってくれた。この言葉があるから今も頑張れているような気がする。
この時を振り返って思うことは、「大丈夫?」と「頑張れ!」はナイフのような言葉だということだ。日常生活もままらないのに、これ以上頑張れなんて、無責任で死ねと言われているようなものだ。無意識に親はこの言葉を使ってしまっていて、気持ちは痛いほど分かるから何も言えなかった。とてもしんどかった。
私が欲しかったのは、「生きてるだけでいい。」という存在を全肯定してくれる言葉の様に思う。だから、私は同じような状況に出会った時には、この言葉をかけて寄り添ってあげたいと思う。無理に外に連れ出さずに、言葉を交わさなくとも側にいてくれるだけで救われると思うのだ。
このnoteも誰かの役に立ちますように。寄り添えますように。