『社会人として』という言葉について
まだ子どもだから こんなことを思うのだろうか。
私は、来年の春社会人になる。小学校から大学まで約16年間学生をやってきたわけで。
昨日、バイト先で「社会に出たらこんなことじゃダメだよ、ちゃんと報告連絡相談(ホウレンソウ)してくれないと!」なんて叱られた。まだ1ヶ月も入ってから立っていないのだからもう少し優しくしてほしい、それも私の甘えなのだろうか。
いつもは、そんな叱りを私のためを思ってだと受け止めたり、受け流したり上手いこと付き合っていくのだが、今回はずっと胸に引っかかったまま取れない。魚の骨が刺さったみたいに
帰り道、視覚障害者の方が白い杖を持って歩いていた。何かしてあげたいと思ったのだが出来ずに、進路を邪魔しないようにゆっくり後ろを歩くことしかできなかった。
止めてあるバイクにぶつかりそうになった時、とあるサラリーマンが声をかけて「どこまで?」と自分の腕を貸していた。私との差に罪悪感がわいた。
** あれ、私ってどんな大人になりたかったんだっけ。**
その時どんな顔をしていたのか分からない。地下鉄に乗って帰る時も、自分の乗る方面が分からなかった、心で泣いた。
社会人としての常識や責任を学んで乗り越える力があるかどうか そんなラインも来ていた。
そんなもの分かっていないといけないのだろうか。知らないといけないのだろうか。もし、そうであるならば やっぱり大人になりたくない。少なくとも、そうアドバイスする大人になりたくない。
もっと他の心にスッと届く言葉を探すために大人になりたい。
今の私を救ってくれたのは、とあるバンドのインタビューでの言葉だ。
生きる意味よりも生きる意志
社会人になる意味よりも社会人になる意志
大人になる意味よりも大人になる意志
いつだって傷つけるのも救うの言葉だと思う。
結局何が言いたいか 分からないけれど
もう少し 子どもでいようと思う。