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平和な世界に向かって私ができること#31

平和な世界に向かって、
私ができることは何かあるのでしょうか。 


西安旅行での出来事

中国の西安へ旅行でのことです。
夫と2人で兵馬俑という世界遺産へ行きました。

そこでは言語ボランティアスタッフの大学生がいて、ある1人の女子大生が私たちに「日本人ですか?」と日本語で話しかけてきました。

「そうです」と答えたら、
「私は大学で日本語の勉強している」と言ってくれました。

ここまでだと日本に対して好意的だと思いましたが、違いました。

夫が「何で日本語を勉強しているの?」
と聞くと「日本語の授業は単位が簡単に取りやすいから」

「日本には行ったことがあるの?」
と聞くと「ない、日本は小さいから魅力がない」
と言っていました。

その子は「私は未来に大きな希望はない、お先真っ暗だ」とも言いました。

夫は「君はまだ若いからそんな悲観的にならない方がいいよ」とフォローしていました。

私は内心、何やねんこの子は愚痴を観光客に言いたいだけなのか?と眉間に皺を寄せながら話を聞いていたので、夫はちゃんと会話をしていて尊敬しました。

私は特に日本は魅力がないことへ言い返したりせずに会話が終わりましたが、こんなに面と向かって、「日本は小さくて魅力がない」と言われたことがなかったので、かなりショックでした。

決して私自身を蔑まれたわけではないけれど、
生まれた国を魅力がないと言われるのはいい気はしません。

そもそも観光客に対するボランティアなのに、
なぜそんな発言をしたのか、
相手にぶつけていいものではないだろうとも思いました。

そこから少し引いて考えてみました。

なぜあの発言をしたのか。

彼女は地元から出ていないのかもしれない。
嫌々ボランティアをしているのかもしれない。
家族の問題があるのかもしれない。
直近で嫌なことがあったのかもしれない。
平和について考える機会がないのかもしれない。
自分を守るための考え方なのかもしれない。

想像を巡らせてみました。

この件は私にとってはショックなことであり、受け入れ難い出来事ですが、
この件から学んだこともありました。

私は言語を相手が嫌な思いをする、蔑むためには使いたくはない。

「あなたの国は小さいから魅力がない」ではなく、
「あなたの国についてよく知らないから、何が魅力か教えてほしい」と言いたい。

知らないから、自分の想像で決めつけてしまうのは良くないです。

異なる言語を使うなら、
相手を知るために、
対等に話しをする対話をするために、
使いたいと強く思いました。


上海で折り鶴を折った話

過去に、隣に住んでいる中国人家族の子どもに折り鶴を折った記事を書きました。

ある日の飲み会帰りに、夫とお隣の旦那さんがエレベーターでばったり会い、酔っ払った2人はハイテンションで玄関前で話していて、
そのままイェーイ続けて飲もうぜとウィスキー持って私たちの家に入ってきたところ、
お隣の奥さんが出てきて、旦那さんを連れて帰ってくれたところから付き合いが始まりました。

お隣さんの旦那さんは中国語しか話せず、
奥さんは英語が少し話せるので、
私たちが勉強した拙い中国語でも聞いてくれて、よく分からないところはお互い英語を使って会話してくれます。

いいお隣さんに恵まれました。

お家に招かれた時に、娘さん2人に折り紙とシールをプレゼントとして持って行き、私はそこで鶴を折りました。

お隣の夫婦ともに折り鶴を平和の象徴であると知ってくれていて、とても嬉しかったです。

世界から見たら小さな出来事だけれど、言語の壁を越えて交流できていることは、私にとって大きなことだと感じます。


私は何ができるのか

テレビやネットニュースでも世界の混沌とした状況を知ると、これからどうなっていくのだろうかと不安になります。

私には何かできることはあるのだろうかと。

私は大きな力を持って人を動かすことはできないけれど、私自身の行動ベースでできることはあるのだとも思います。

私が今学んでいる中国語と英語は、全然ペラペラとは程遠いけど、異なる言語を学んで文化の違う人と対話することは、平和な世界に繋がるはずと信じて勉強を続けていきたいです。

言語を使う時も、相手を思いやって、
言語の壁を乗り越えたいです。

自分の居心地の良い場所を飛び出して、
異なる言語や文化の人と話す、関わる
理解しようと歩み寄ること、
私にできる目の前のことをコツコツやっていきたいと思います。

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