人と比べちゃう自分に花マルを
人と比べちゃう自分に花マルを付ける。
私はその画期的な考え方を習得した。
私は去年結婚し、仕事を辞めて、今は上海駐在妻として異国で暮らしている。
去年は急に助産師として働いていた自分の肩書きがなくなり、語学力もなく、子どもも育てていない自分は一体何をしているんだろう、とないものばかりを気にして、ネガティブなことばかり考えていた。
周りの同期は働いてキャリアを積んでいるのに。
英語も中国語も話せる人はたくさんいるのに。
日々子育てを頑張っている人がいるのに。
私は今何もない。
どんどんと自己嫌悪に陥っていた。
友人の妊娠報告や転職報告を聞いて、誰も私のことを置いていっていないはずなのに、人生の次のステージへどんどん進んでいく周りに置いていかれている感覚があった。
そうやって人と比べてしまう自分はなんてダメなんだ、と自分にバツを付けていたのだ。
自分にバツをつけてしまうというのはとても苦しい。
それは自分を否定することになってしまうから。
人と比べて悲しい、悔しい、などのマイナスな気持ちはできれば感じたくないし、なかったことにしたい。
でもそれはできなくて、生きていたら絶対感じてしまう感情である。
だからそんな感情を否定することを辞めてみた。
「人と比べない」
じゃなくて、
「人と比べちゃう自分もいるよね。」
と肯定してあげることにした。
比べてしまって、悲しい、悔しいって気持ちになることはあるよね、人間だもの、って自分に言ってあげる。
人と比べちゃう自分のことを否定するのではなく、肯定してあげる。
そんな自分もいるよね、そんな感情も抱く自分も最高じゃんって花マルを付けてあげる。
そうすると自分にバツを付けないからとても楽になった。
実際、人と比べる軸はいくらでもある。
はっきり言ってキリがない。
たとえ今自分にない、仕事や子育て、家や車が手に入ったとしても、
私より稼いでいる人はいるし、
子どもによりよい教育をって考えちゃうと思うし、
車を買ったとしても、国産車か外車かどうかでも比べちゃうと思う。
目標にしているHSK5級、TOEIC800点取れたとしても、HSK6級を持っている人、TOEIC900点の人と比べてしまうと思う。
しかし、その比べちゃう度に「また比べてしまった」と自分にバツを付けてしまうのは辞めたい。
そんな気持ちを「ない」ことにして自分を否定するのではなく、
そんな気持ちも「ある」と肯定してあげる。
「いやそもそも私は人と比べたくない」という感情に対しても、「そうだよね、比べたくないよね」と一旦受け入れてあげる。
比べてしまう自分も、
比べたくない自分も、
丸ごと全部オールオッケイ。
そうやってみると格段に自分を肯定できて、とても生きやすくなった。
人と比べちゃう自分に花マルを。
今日も花マル満点。オールオッケイ。