養女
母親との暮らし
幼少期、ご飯を作ってもらえなかった。
同じ部屋で寝てもらった記憶がない。
じゃあ、どうやって生きていたのか。
おばあちゃん家でも食べさせてもらっていたし、食料だけは買ってくれていたので、電子レンジでパックご飯を温めて、缶詰をおかずに食べていた。
それか、ふりかけご飯。
ミートボールをチンして食べていたっけ。
布団も無くて、ロングコートをかぶって寝ていた。
部屋はどこも物なのかゴミなのかで溢れていた。
母親はいつも別の部屋。
何も言わず、寝ている間にどこかへ行ってしまう母親がいつか戻って来なくなると思って怖かった。
置き去りにされると思った。
ほとんど保育園に行っていない。
保育園に行ってる間にいなくなったらどうしようと不安で仕方なかったのだと思う。
夜は眠れなかった。
ビデオを観て、朝が来るのを待っていた。
昼夜逆転の生活となり、登園拒否。
小学校も3年間くらい不登校。
母親が好きとか嫌いとかよくわからないが、あの頃は一緒にいたかった。
大人になってからも生きにくい原因のいくつかは幼少期にある。
離婚
2歳の頃に両親が離婚した。
そのときの記憶はほとんど無いが、父親は怒鳴る人だった。すぐ怒りを他の人にぶつけて機嫌を悪くするような人。
「泣くな!出てけ!!」と駐車場に取り残されたことがあった。
嫌われないように、怒らせないように必死だった。
子どもにとって当時は親しかいないから。
嫌われたら生きていけないような気がしていた。
その頃から人の顔色を伺うのが癖となり、相手のことを考えてからしか行動できない私がつくられていった。
子どものためを思って離婚をしない夫婦もいるかもしれないが、子どもは大人が思っている以上に敏感だから、両親が笑って穏やかに過ごせていない家庭で過ごすのも苦しい思いをするだろうし、嘘をつかれたり騙される方が悲しい。
親が我慢して無理をしている姿を見るのも辛いのだ。
小さいながらに、大人にはいろんな事情があることも知ったし、永遠ってないんだなと現実を学んだ。
本当の気持ち
ずっと寂しかった。
愛されていた自信がない。
大人になれば平気になると思っていたけれど、今も時々、幼少期を思い出しては胸を痛める。
でも、寂しかったんだよね。辛かったんだよねってやっと当時の小さな私の気持ちと向き合えるようになった。
伯母さんと伯父さんの子
高校を卒業してから養女になりました。
ずっと伯母さんが育ててくれたから今があります。
もし2人がいなかったら施設へ預けられていたか、生きているかも分からない。
「ただいま」と言って帰れる場所があって、あたたかい手料理を食べられる。
お風呂に入って柔らかい布団で眠れる。
家族がいる。
とっても幸せなこと。
自分の子どもじゃない子を守ると決めてくれた覚悟はすごいものだと思うから本当に感謝しています。
今を生きる
産みの母親も祖母も精神疾患があります。
やっぱり遺伝って関係するのかな。
なってしまったことは仕方ないよね。
全部が経験と学び。
そう思うことにした。
先生と相談して、今日から薬を増やします。
来週は新しい薬も追加してみる。