
「海に眠るダイヤモンド」と2024年の読書体験
2025年も二か月近くが経過して、いまさらという感じがありますが、私の読書体験に絡めて書き留めておきたいトピックがあります。昨年秋から冬にかけてTBS系列で「海に眠るダイヤモンド」というドラマを毎週日曜夜にやっていて、普段テレビは観ないのですが、毎週楽しみにしておりました。炭鉱で栄えた長崎・端島と、現代の東京という二つの時代が往還する構造の人間偶像的な内容のドラマで、なぜか惹きつけられたのです。私の生まれ育って、こうしてUターンして仕事させて貰っているこの街も、かつて炭鉱で栄えた街の一つだったからこそ、このドラマに惹かれたのかもしれません。
ただ、そういうのもあるのですが、ドラマの回を重ね、全て、最終話まで観終わった時、これは、ある作家さんの代表作のオマージュ作品じゃないのかな?という考えが浮かんできました。
大江健三郎さんの「万延元年のフットボール」です。
まず、過去と現在が往来する構造。
キャラクター的に極めて対照的な兄弟の存在。
手紙やノートという紙媒体によって明かされる過去。
しかも、その封印された「過去」は極めて狭い地域コミュニティ(四国の森or長崎端島)から脱出する「裏切り」行為として評価されていたけれど、実はそうじゃなかったという過去の書き換えによってクライマックスを迎えるというストーリー。しかも、自分とは正反対の兄の子(赤ん坊)の運命をしっかり受け止めるという流れも、不義で生まれた鷹四の子を育てていこうとする蜜三郎の姿に重なるものがあります。
単なるこじつけかもしれません。ですが、大江さんとゆかりの深い女優さんの宮本信子さんが登場していたり、長崎原爆投下後、後遺症で苦しむ登場人物の存在とかも、大江健三郎さんの「ヒロシマノート」を連想してしまいました。
このドラマ作品を制作された方は、実は大江さんの相当な愛読者ではないかと勝手ながら推察いたしました。少なくとも、大江作品群を意識しているようには感じたのを覚えています。
実をいうと、家族・知人・友人を含め、かつて炭鉱で栄えたこの街(私の周りでは)では、この「海に眠るダイヤモンド」を観ていた人は多くて、話題に上っていたわけだけど、この「万延元年のフットボール」や大江健三郎さんの作品群との「符合」については誰にも話してません。読書家、文学ファンをひけらかしているみたいで何となく嫌だし、大江さんが若い頃、政治団体から命を狙われたエピソードを知る者としては、ちょっと怖い気がして黙っていた方がいいのかなっていうのがありました。そうではあるのだけど、2024年は、本屋さんで大江さんの追悼コーナーが設けられていたせいもあったけれど、「芽むしり仔撃ち」「性的人間」「静かな生活」「ヒロシマノート」、さらには「新しい人よ、眼ざめよ」や「飼育」を改めて読み直しましたが、もしかしたら、私だけでなく、多くの方が大江さんの作品群を改めて手にしたのかもしれません。私の周りには文学ファンが少ないので、広いネットの世界を通じて、大江健三郎さんの隠れファン的な誰かに伝わるかなって思って、今回の記事書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。