「あの頃」に戻れるタイムカプセル
みなさん、あの頃に戻りたいと、思ったことはありますか?
多くの人が一度は思うことじゃないでしょうか。
私は今週末に自殺する予定なんですが、身辺整理として部屋を掃除していました。
いらないものを片っ端からゴミ袋に詰めていると、押し入れの中の段ボール箱から「それ」は出てきました。
卒業証書を入れる筒のような形をしたそれは銀色で、まるでステンレス製の水筒のよう。蓋の上部には、「20XX.8」とマジックペンで書いてあります。私の字で。
これタイムカプセルだ、と私は思い出しました。
20XX年8月と言えば、私が高校1年の頃です。その日は夏祭りの日でした。我が家は、夏祭り会場の近くにありました。部活一筋だった私は、お祭りに行く予定もありませんでしたので、テニス部の自主練に励んでいました。その日、私はお祭りが終わるくらいの時間に練習を終えました。学校から帰る時、脇道に一人の露天商がやっている店を見つけました。通り過ぎざま、店をちらっと覗くと、筒が目に入ったんです。
駄菓子やおもちゃが並んでいる中で、その筒だけが異質に見えて、思わず足を止めました。
露天商の薄汚れたタンクトップ姿の老人は、
「それが気になるかい? それは記憶を保存しておけるタイムカプセルだよ。よそじゃ絶対に入手できねぇ代物だね」
と自慢気に言いました。
記憶を保存とはどういうことか老人に尋ねると、
「そのまんまの意味だよ。自分のとっておきたい記憶、楽しかった思い出とか幸せだったこととかを筒に入れておく。で、あの頃に戻りたいって思ったら開くんだ。その時のことを思い出せるアイテムを一つ、筒に入れればいい。その日着てた服の一部とか、その時撮った写真とかをな」
「へぇ、不思議な商品ですね。いくらですか?」
「一万円。いやこれ、ほんと破格だよ。戻りたい頃に戻れるんだからさ。それだけでこの先も生きていける支えになるんだよ。嬢ちゃんはうちの孫くらいかな? まだ若いからわかんないだろうけど、幸せな記憶ってのはそういう力を持ってるんだよ。そう思えば安い安い」
いやいや、高校生的には高いっつの・・・と思わず漏らしそうになるのを堪えて、私はその筒を買いました。ちょうどお盆の時期で、先日会った祖母からお小遣いにと一万円札を貰ったので、買うことができました。
デタラメだったとしても、笑い話としてネタにはなるだろうと思ったのです。
筒を買った後、しばらくはその存在すら忘れて過ごしました。
その年、テニス部の大会で私は優勝し、県大会へ進む切符を掴みました。
大会の帰り道、部活仲間のCと一緒にコンビニでアイスを食べました。いつも食べていたアイスの新作が発売されたと聞いて、Cが優勝祝いに奢ってくれたのです。その日二人で食べたアイスは、いつもより美味しかったことを今でも覚えています。
家に帰り、湯船に浸かりなら「優勝して、県大会に出られるなんて…幸せだな」と思った時、ふと、あの筒の存在を思い出しました。
そういえば、幸せな記憶をとっておけるんだったな。
私は筒に今日の記憶を保存しておこうと思いました。
お風呂から上がり、筒に優勝のメダルを入れようとしましたが、メダルの方が筒の口より大きくて入りませんでした。仕方なく、賞状を丸めて入れます。賞状だけではなんだか寂しかったので、Cが奢ってくれたアイスのパッケージの袋も入れておきました。新作のパッケージが、レトロな感じで可愛かったのです。
その筒を、10年経った今、死ぬ前の身辺整理中に発見したのです。
私は躊躇いつつも、その筒を開けることにしました。
どうせもう、何もかも終わりです。
新卒で入った会社がブラック企業で、精神を病みました。貯金もないまま退職し、数ヶ月部屋に引きこもりました。今ではクレジットカードの支払いの催促の電話に怯える毎日です。まさか自分がこんな典型的なブラック企業に入って、こんな人生を送るとは、思ってもいませんでした。
そりゃ戻りたいですよ、あの頃に。
あの頃は幸せだったなぁ。毎日テニスして、Cと学校帰りにコンビニ寄って。高校生なりに色々あったけど、楽しかった。大会で優勝した頃なんて、幸せのピークだったな。あの日をタイムカプセルに入れた私、センスあるわ。人生で唯一の功績だもんね。
そんなことを思い出しながら、私は筒を開けました。
中に入っていた賞状を手に取り、ふと顔を上げると、
あの日の試合会場の高校にいました。
えっ? あれ、ここって…
本当に、あの日に戻ったようです。
あの日をもう一度、私の視点で再生している感じです。
ただし、どうやら再生するだけのようでした。声を発したり、体を動かしたりはできません。なんだか不思議な感覚でした。
「A(私の名前)〜! はやくコンビニいこっ、アイスなくなっちゃう」
Cが校門の前で手を振っています。これもあの日見た光景でした。
17歳の私は彼女に応え、走り出しました。
ああ、ほんとにあの日なんだと、私は嬉しくなりました。
優勝した時の気持ちも、これからコンビニで新作のアイスを食べられるというワクワクさえも、当時の私の中にいると流れ込んできます。
あぁ、なんて幸せだったんだろう。ずっとここにいたい。
久しぶりに見るCも、あの日のままでした。
Cは高校卒業後、服飾の専門学校に入り、そこで知り合った彼とデキ婚しました。今は育児に追われる毎日に疲弊しつつも、幸せそうな写真をSNSにアップしています。夫となった彼との関係も良好のようです。
今の私とは正反対の幸せそうな様子を見るのが嫌で、SNSはたまにしか見ませんが、Cの近況だけはチェックしていました。
「Aはさ、やっぱ体育系の大学行って、スポーツ関連の会社に入るの?」
「うーん、大学は行くつもりだけど、楽しかったら何でもいいかな!」
17歳の私とCは、そんな会話をしていたようです。このへんの内容は全然覚えていませんでした。10年後には自殺を考えているなんて、当時の私にとってはあり得ない未来でしょう。
「まあでも、今を一生懸命生きるしかないんだよね。昔、うちのおじいちゃんがよく言ってた。今を一生懸命生きてれば、それが大切な思い出になって、辛いことがあった時の支えになるよって」
Cがアイスを食べ終えて、話しはじめました。
「へえ、おじいちゃん、いいこと言うね」
と言いつつ、私はアイスに夢中でろくすっぽ聞いていません。自分だからわかります。
「うちのおじいちゃんさ、この間亡くなったじゃん? 部活休んだ日、お葬式行ったって言ったよね。おじいちゃんさあ、きったないタンクトップでいつも歩いてたんだよ。恥ずかしいからやめてって言ったんだけど、ばあさんが新婚旅行で買ってくれたものだから、幸せな記憶が詰まってるからって、いつもそれ着てた。辛いときはいつもばあちゃんのこと思い出せば、それが支えになって生きていけるんだ、って。まあ、もう死んじゃったけど」
と言って、Cは笑いました。
「Cのおじいちゃん、よっぽど奥さんのこと好きだったんだねえ。いいなぁ私も恋したい」
「Aは好きな人いないの〜?」
その後の私達は、他愛もない恋バナで笑っていました。
気がつくと、薄暗くなった部屋にいることに気づきました。
アパートか。そうだ、身辺整理してたんだった。
現実に戻って来たことを自覚します。
私の頬は濡れていました。
賞状を仕舞おう、と思って目を落とすと、賞状は無くなっていました。きっと、もうあの頃には戻れないということでしょう。
筒を捨てようか悩んで持ち上げると、中にまだ何か入っていることに気づきました。
あの日の新作アイスの袋でした。
その後、私は身辺整理を済ませ、実家に帰ることにしました。
連絡も無く帰ったので、両親は驚いていましたが、あたたかく迎えてくれました。
荷解きを済ませ、SNSからCのアカウントを開き、メッセージを打ち込みます。
「C、久しぶり! Aだよ〜!
子育て大変? 子育てが落ち着いたら、会いに行ってもいい? 出産祝い持ってくからさ。今ね、地元戻って来てるの。話したいことがたくさんあるんだ」
私はなんだか前向きな気持ちで、メッセージを送りました。
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