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教える とは、少し先を照らすこと。

こんにちは。Siroです。

皆様は、後輩への指導で困ったことはありませんか?


圧倒的な知識や技術の差があれば、指導できることはたくさんあると思いますが、

実際はそれほど差がなくても、指導しなければならない時もあると思います。


そういう場合、どうしたらいいのでしょうか。

今回、光の存在に尋ねてみることにしました。すると、


"教えようとするのをやめてはいかがですか"


と、応えが返ってきました。 突然の言葉に驚いていると、


“あなたが考えている 教える ということは、 正解 を教えるということではないでしょうか“


と続けられました。その通りだと感じていると、


“実際にあなたが困ったとき、知りたかったことは 正解 でしょうか。

正解 は 知っている もしくは 調べることができる けれど、

別のことを知りたかったのではないでしょうか?“


と、伝えられました。ドキッとしました。そして、


"皆、似たようなことでつまずき、似たようなことで悩みます。

かつてその道を通った方が、当時の話しをしてくれたらどのように感じますか?“


と、続けられました。そのとき、最近目にした一文を思い出しました。



“人生は近くで見ると 悲劇 だが、
 遠くから見れば 喜劇 だ“


というチャーリー・チャップリンの言葉でした。


そのとき、 Yes という感覚が響き、


“渦中にいると、とても苦しいものです。

しかし、少し離れたところから眺めれば、ほとんどのことは人間らしくて愛おしい出来事に感じられます。

少し先を歩くということは、その見方を伝えられるのではないでしょうか“


と、続けられました。


今回も抽象的な内容になってしまいましたが、誰かの役に立つ内容になっていれば嬉しいです。

Siro。

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