謙虚さは弱い証。堂々と生きる
こんにちは。
まだまだ今よりも未熟だったとき、謙虚な人は弱い人だとうっすら思っていた時期があった気がします。
もちろん、堂々とすることができなくて謙虚なふりをしている人もいるけれど、本当に上品で上質な謙虚な人と接すると。
あぁ。全くの別物なんだなって言うことに気づかされる。
あなたにとっての謙虚さってどんな印象ですか?
わたしの人生で堂々と生きるなんてことは一切なかったわけですが。
それは、堂々とすることができるけどしてこなかったわけではなく、そもそも選択肢として存在していなかっただけです。
でも、堂々とすることも出来るようになってきた数年間。
それはどこか謙虚さとはかけ離れていて。
表現するならば、小さな子供が重たい包丁を持って料理をしようとしているのと似ている。道具を扱えているというよりも、とりあえず使えているというレベル。
細かい細工や、道具を活かした料理なんてのは程遠い。まだまだ成長途中ってやつです。
先日、わたしの学びの師が書いているブログを読んで。
(氣付きの多い文章を書くのでよかったらそちらも♬)
師にメッセージを送りたくなったけど、なんだか恥ずかしくて送れなかったのでこちらに記しておこうかと。
わたしの小さい頃は幼稚園の四隅で小さくなっていて話す声も蚊の鳴くよう声で返答していて、意思表示っていうか察してもらってばかりだった。
たいていの人は小中高と上がって来るにつれてそういうのがバッサリ抜け落ちるんですが…恥ずかしいことに大人になっても大して変わってなかったわたしは30代半ばでした。
自分の人生はこんなもんだと思っていた数年前
ひょんなことから、誰もやらないならやるよって、実行委員長に立候補するようになっていて。
もちろん、経験なんてないから無責任の極みでという前提付きで立候補。
人って大人になっても変わるものね。
話は少し戻って、そんな経験値の欠片もないわたしなので、出来るようになっただけで、扱えているとは言えなくて。
そんな不出来な自分をみつめていると、謙虚な人はそんなのを越えて自分の振る舞いを調整できて、実力をひけらかすでもなく。
会っていると心地よさを与えることが出来るような…そんな存在に思えています。
でも、決してそれは弱さではなく。隠すわけでもなく、堂々としている。
わたしにとってそれは上品さなのかもしれない。
堂々と生きる。
本当はもっと書きたいことがあるんだけど、長くなるのでこの辺で。
上質に、堂々と、楽しむ人生を歩むと決めた。
まだまだ不器用すぎるけど。
それを応援してくれる仲間がいまはいる。
ここまで、これまでかかわってくれている人達に改めて感謝したい気持ちです。
ありがとうございます。