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心傷というクオリア

書こうとしてキーボードに手を置いては、何も書けずに時間が過ぎる。
それをこの一か月ほど繰り返していた。
なんだかまとまらないけど、思うままに書きなぐろうと思う。

*  *  *

今まで私と家族について、特に母親について、「自分を掘り起こす」という目的の為にいくつか書き留めた。私の気持ちを視点として、辛かったこと、苦しかったことを吐き出した。
必然的に家族や母親を責めるような内容になった。

それは、今まで自分を責めてばかりだった私の心の底に溜まった澱だった。
本当は、直接ぶつけたかった恨み節だった。
ずっと、見ないようにしていた本音だった。

とても醜い、不格好で不愉快な、他責的な、本音。
それをパブリックな場に置いたのは、私と同じような苦しみを持っている人に届いてほしいと思ったから。傷の舐めあいだろうと何だろうと、一人じゃないことを伝えることに意味があると思った。何かの支えになりたいと思った。
そして、少しでも同じ傷を負う子どもが減ればいいと思った。私の恥ずかしい過去を読んだ誰かが、いつか子どもに接するときに、子どもの心に傷を与える可能性を考慮する際の材料になれないだろうかと思った。

なれればいいなと思う。

*  *  *

決定的な何かがあったわけではない。それでもじわり、じわりと私の心は蝕まれ続けた。深夜から明け方まで包丁を持って切っ先を眺めながら立ち尽くしていたこともある。そんな精神状態だった。
家族といるのが辛かった。
自分の気持ちを、考えを、主張を、願いを、一番身近な人たちに否定されて馬鹿にされて、され続けて、産まれてからずっと、育てられながらずっと、巣の中で自己肯定感をすり減らされてきた。

私より辛い思いをしている人は山ほどいる。私はむしろ、恵まれた家庭に産まれることができた。幸せだと、有り難いと思っている。
だけど、だからといって、なのだ。

*  *  *

中学生の時だったと思う。
友人と話している時、「ほんとに家族嫌いだね~」と苦笑しながら言われ、とてもとても驚いた。なぜって、家族は嫌い合うのが当然だと思っていたから。仲の良い家族なんて、フィクションだと思っていた。
その友人だって、母親を憎んでいたり、父親を恨んでいたり、それを隠して平静を装いながら生きているのだと思っていた。
誰でもそうやって、家族という集団生活をいびつに守っているのだと思っていた。

別の友人と仲良くなって、更に驚いた。
話に、家族の話がよく出てくるのだ。
お父様が面白い人で、お母様も面白い人で、友人本人も明るくて面白くて。家族で交わされる会話の話が楽しくて、「笑いが絶えない家庭」という言葉がぴったりだった。
いやいや盛っているでしょ、そんな楽しい家庭とか作り話でしょうと思っていたのだが、実際にお母様と話す機会があり、衝撃を受けた。
盛ってなかった。

私が今、自分の子どもたちに臆面なく愛情をぶつけながら育児できるのは、友人たちの家族の話を聴けたからかもしれない。感謝。
子どもたちが、いつかお友達と楽しく家族の話をしてくれたら嬉しいな。

*  *  *

家族という集団では、安定を守るために、誰か一人が負のエネルギーの掃き溜めになって、悪いものが溜まることがあるんだって。それがうちでは(私)ちゃんなんだね。

大学生の頃だったはず。心理学の本にはまっていた母親から言われた。
「心理学の本を読んだ」「母親が」「(過去にうつ症状を見せている)娘に対して」「目の前で直接」言った言葉だ。
今思い出してもびっくりするが、当時の私もびっくりした。それ我が子に言う?

その時はもう、母親を「未熟な一人の人間」として心理的距離を置きながら見ていた私は「あーなんかまた言ってるなぁ」くらいにしか思わなかったので、これで傷ついたりはしなかったが、自虐と少しの意地悪の気持ちを込めてこう返した。

私は腐った蜜柑ってこと?

当時の私は八百屋でバイトしており、箱売りの蜜柑を扱う機会もあった。箱売りの蜜柑は、なぜか最初に底の方の一個だけが腐る。その一個に接している個体から傷みが伝染していくのだが、周りの個体はきれいなのに、一個だけぐずぐずに腐っていることも多い。まるで周りの不浄を吸収して犠牲になっているようだなぁと、バイト中に思ったことがあったのだ。
それを説明すると、母親は「なんかちょっと違う気もするけど、そうかもね」と、微妙な顔をしていた。

我が子に「自分は腐った蜜柑なの?」と訊かれたら、なんて返しますか?

*  *  *

中学生の頃は不眠症だったのだが、大学生になるまでには改善し、夜行性ではあったが深夜には寝ていた。そんな頃、よく見ていた夢がある。
家の中で、家族に追い回される夢。
私はなんとか逃げようとして、頑張って体を浮かせるのだけど、天井に張り付くようにする私に家族の手がかするのが怖くて。ものすごい恐怖心だった。あちこち逃げながら何度も隙を狙って窓を開け、やっと外に出るのだけど、低空飛行しかできなくて、ギリギリ家族の手が届かないくらいの高さを逃げながらずっと飛び続ける。
がんばって頑張って、うーんうーんと上昇しようと頑張り続けていると、やがてふわっと浮き上がり、家族が小さくなるのを見ながら上空へ逃げる。
その後は、自在に空を飛んだり、上空から急降下したり、他の登場人物が出てきたり、その時によって内容が変わる。でも、最初の追い回されるところから上空へ逃げるまでの部分は、毎回同じだった。何度も何度も、かなりの頻度でこの夢を見た。毎回とても怖かった。

社会人になって一人暮らしをスタートした最初の夜、家族にひたすら罵られる夢を見た。その夢の私は飛ぶことができず、ひたすら耐えていた。
「裏切者!!」というひと際大きな声が脳に響いて、目が覚めた。
そのままぼーっとしていたら、会社に遅刻した。ものすごく体調が悪いふりをして謝り倒した。

それ以来、追い回される夢を見なくなった。

*  *  *

一人暮らしを始めて10年程は実家に寄り付かなかったが、今現在、親兄妹とは良好な関係を保てている。
物理的な距離を置くのは、やはり一番良い解決策だと実感している。
元々、両親には憎む気持ちと同時に感謝と尊敬の念を持っていたのだが(特に父親の事はとても尊敬している)、自分で子どもを産んで益々それが大きくなった。
今では子どもたちと帰省するのが楽しみになっている。


*  *  *

たぶん私が負った傷が癒えることはなくて、その傷がどうしてできたのか、どれくらい痛いのか、どうやって痛いのか、痛むとどう辛いのか、そういうことは私にしか分からない。
私の傷は私だけのもので、私の痛みは私にしか感じられない、クオリアだ。
例え全く同じ経験をした人がいても、その人と私の傷は、痛みは、同じかどうかわからない。その人と私が別の人格である限り、比較も検証もできない。
世界中の人が、自分だけの傷を、痛みを持っていて、それがその人の価値観や人間性や性格なんかを形作っていく。

誰かの辛さを私が本当には理解できないのと同じで、私の辛さを誰かに本当に理解してもらうことはできない。

だから私たちは、どんどん孤独になる。


本当に理解しあうことはできなくても、せめて、心に寄りそうことはできないだろうか。
傷や痛みは自分で乗り越えるしかないのだから、せめて、乗り越える勇気や気力を養う手伝いはできないだろうか。
だって、怪我をしたら手当をするでしょう?治る手伝いをするでしょう?
傷口を洗ったり、消毒したり、保湿したり、ガーゼを貼ったり、テーピングしたり、ギプスを付けたり、色々。
心の傷や痛みも手当すれば、早く治るだろう。
傷跡は残っても、残り方が違うだろう。

手当の仕方はたくさんあろうが、その内の一つに「自分の気持ちを話して、ちゃんと聴いてもらう」が挙げられる。
誰彼構わずすぐに深い話をする訳ではない。それは逆に傷を深める。
聴いてくれる相手を見つけて、何度か話して信頼関係を築き、この人になら話せるなと思ってから、話す。
自分のペースで、話したい事だけ、話す。
そうやって心の膿を出して、痛みをちゃんと「痛い」と訴える。
やってみると分かるが、それだけで随分楽になるものだ。

そんな心の手当てをしたくって、私はLivelyTalkというところでトークルームを開いている。
もし、これを読んでいるあなたが心の手当てを必要としているなら、そっと覗いてみてほしい。色々なトークルームがあって、みんな傷の痛みを知る優しい人ばかりだから。
私じゃなくていいから、あなたを思いやってくれる誰かと話をしてみてほしい。
そうして、少しでもあなたの傷や痛みが癒えるのを、願ってやまない。


ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました!あなたにいい事が起こりますように。 何かにもがいて苦しい人へ。その苦しみを、ちゃんと吐き出してください。ここで待っています。 https://www.lively-talk.com/service