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名残惜しいけど、ばいばい
今まで散々惚れた腫れたの話を書いてきた。
大抵の人は時を経て過去になって、優しい思い出になるのだけど。一人だけ、今でも思い出すとなんとも形容し難い気持ちになる人がいる。
一緒にいたのは秋から冬にかけての、僅か3ヶ月程の事だった。
4つ年上の彼は、初めて会った時、なんて優しい笑い方をする人だろうと思った。
語尾が二段階くらい伸びる北陸特有の話し方は、力が抜けていいなと思った。
横顔を見るとチラ
生きる、愛しきものと共に
ただ元気で笑ってて欲しいって
そう思える人が居ることは財産だって
私は私ひとりでは生きてこれてなくて
だからって誰かの人生を生きてる訳でもなくて
例えば全部は覚えてはいられないような
誰かの思いやりとかふとした言葉
大切なあなたのやさしさやちょっとした悪戯でさえ
全部私の糧となっているんだろう
あんなに忘れたくないと思った出来事も
忘れたくて泣いた出来事も
時は全てを風化させて
それでも残るも
故郷への慕情はそれだけではない
どうしようもないクソガキだった私を知ってる人に会いに行った。
20年近く会わずにいたら、相手は50歳のおじさんになっていた。
学校をサボりがちだったり、家のことですさんだ私を、ちゃんと大人の立場で心配してくれる。
そんな、素敵な人だった。
沖縄を出てからたまに電話やメールをすることはあったけど、最後に会ったのは今から十何年も前、21歳の帰省の時で。
最後に連絡を取ったのも、LINEで繋がって
言葉は巡っていつか私の腑に落ちる
片思いばかりの人生だった。
いかんせん男の人に惚れやすくて、私の言う些細な一言に笑ってくれたら。くだらなくても、笑わせてくれたら。もうそれだけで大好きになった。
彼は私を志麻ちゃんと呼ぶ。
日々呼ばれ慣れたこの名前も、彼の口から発せられるなら世界一可愛い名前だなって思える。
「志麻ちゃんホンマもういい加減にせぇて」
あぁ、その目尻の下がり具合、無防備すぎるくしゃくしゃの笑顔。ありがとうござい
宝石みたいな海だった
すごく好きだった上司の転勤が決まった。
すごく好きだったけど気持ちを伝える勇気はなかった。
すごく好きだったから薄々気付かれてはいたと思う。
だけどどうにかなる様な二人ではなかった。
それでも私の最初で最後のワガママを受け入れてくれたのは
少しぐらい、揺れてくれてたからだと思いたい。
横浜に行こう。
そう決まったのは彼が関東に転勤して3ヶ月後のこと。
海老名のサービスエリアとか中華
あの満天の星空を抱きしめて
あの頃。
コギャルブームを少し過ぎて、今ほどではないけれどプリクラに申し訳程度の盛る機能がつき始めたあの頃。
ラルフローレンのカーディガンを羽織り紺のハイソックスを履いて、髪の毛を少し巻けばそれなりに見えた、そんな時代の女子高生だった頃。
毎日毎日、私は燻っていた。
学校に行けば友達はいたし、バイトもしてそれなりに自由になるお金も出来たのに。
何かが足りなかった。ずっとどこか満たされずにいた。
紫陽花を見るたび君を想う
私には学がない。
こんな事を言うと自分を卑下しているかの様に聞こえるが、実際にそうなのだ。
だから頭の良い人に出会うと素直に尊敬するし、知らなかった事を教えてもらえると嬉しくてもっともっと、となってしまう。
ヒロくんはひとつ年上の、優しくて穏やかな人だった。
何でも笑ってくれて、軽口も言い合えた。
だから私はすぐ調子に乗って、彼にはいつも甘えてばかりいた。
みんなで飲みに行って、デザートに