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農家番外編 韓国旅

これまでの思考や行動や選択の数々は、先人たちの歩んだ轍を後追いしているに過ぎないのかも知れない...。

ふとそんな思いが頭をよぎった今回の韓国旅。

なんて、ちょっと感傷に浸ってしまうのはきっと、短くも濃厚だったソウル行脚の日々が、充実していたから。

この数年間で、隣の国の社会問題や、社会そのものを揺るがす事件のことを知り、社会の激動に翻弄されてきた、小さな、小さな個人の葛藤や深い悲しみに触れた。

社会の背骨にある朝鮮戦争では、南北合わせて何百万人もの個人が犠牲となり、約一千万人が離散家族となり、十万人以上の子どもが戦争孤児になったともいわれている。

その深い悲しみに光を照らす数多くの細やかな小説の存在が、壮絶な犠牲を忘れないための、そして深い傷を負った社会を再生していくための治癒力になると思った。

こうして、奥深い韓国文学の世界にのめり込んだ。

きめ細かく、粘り強い作品の数々。
チョ・セヒの『こびとが打ち上げた小さなボール』、斎藤真理子の『韓国文学の中心にあるもの』、ファン・ジョンウンの『ディディの傘』、チョン・セランの『フィフティ・ピープル』、パク・ソルメの『もう死んでいる十二人の女たちと』、ハン・ガンの『菜食主義者』、カン・ファギルの『大丈夫な人』、ミン・ジン・リーの『パチンコ』、などなどー。

読む時間は、時に無力で失敗もする人間の性に立ち帰る旅路でもあるし、日々社会で問題とされる差別や偏見のことなど、学び損ねた何かに再び出会わせてくれる。

そして、「無関心でいられることは特権である」という言葉がブーメランとなって返ってくる。日本の加害の歴史に無関心でいられたのは他でもなく特権だった。

次は、ハン・ガンの「少年が来る」と「別れは告げない」、キム・エランの「外は夏」を読んで、光州に行きたい。
あとできたら済州も。

写真は帰国後の畑で撮った赤唐辛子。
韓国でも赤唐辛子にはとてもお世話になったので、オマージュを込めて。

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