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風が旅立ちを告げた時のお伴に

幡野さんと古賀さんの三省堂書店トークイベントに参加してきました。

古賀さんの本も追加購入し、幡野さんの写真を観たり、ぼんやりしたり。古賀さんの本は姪っ子にあげた本と交換すべきか?とも思ったけれど、わたしはわたしがまずサインが欲しいのでわたしの名前でサインしてもらった。というかしあわせになる勇気を持参すればよかった!くっ!出張の合間でなければ!

思えば最初はイベントの内容を書きたいと思っていたはずなのに、最近メモリーが少なくなってきたのか半分覚えていればいいといったところが悔しい。
ペンは会場を後にしてからカバンから発掘されたけど、そもそもメモを取るための紙も持参してなかった!
無念。

でも、レポと言うよりわたしがお二人のお話を聞いて考えたことの2点についてだけは暑苦しく感じたことは書けそう(え

あ。
レポかどうかわからないけれど、ざっくりトークイベントについて書くと、幡野さんの本でのお二人の対談を読んでください、だいたいそこに凝縮されていると感じました。(つまりは本を買って読んでくださいね🩷ってこと。
個人的に桃太郎の話、虐待例に例えていたのがすごいなぁと。わたしはうっかりラーメンズのコントを思い出したりして岩手のなまはげを思い出しました(え

まぁ、それはそれとして今回も自分の感じて考えたことをつらつらと書いていきますね。

🌟ドラマについて
ドラマのことはあんまり観ていないし、韓国ドラマも観ていないからわからいとこもあるけど、興ざめする瞬間がマンガチックなのは腑に落ちた。あぁ、だから興ざめするのか。たしかに《目でみえる言葉で表現する》のとそれをそのまま《音》で表現する時では表現方法を変えないととても陳腐な作品に感じてしまう。その一方でマンガでも映像向きの作品はあるとは思っている。水城せとなの作品は実写化もアニメ化も向いていると感じてる。
失恋ショコラティエはほどよい塩梅だった。
原作ありのアニメ化、映像化が苦手なのは本で読んだ時の音と俳優が自分のイメージとほぼほぼ一致しないからというのが大きいとは思うけれど。そう、ライトノベルのドラマ化もあんまり好きじゃないのにもそういえばこないだ気付いた。弁理士をテーマにしたドラマはほんとダメだった。なんなら原作もだめだった。マンガチックすぎてダメだった。小説は別にそこまではない。翡翠ちゃんのドラマはまぁまぁよかったけれど、たしかに原作者の相沢さんが蔑ろにされていたところがあるのはすごくすごく悔しい。

そういえば、わたしの数少ない好きなドラマ作品はだいたいオリジナル脚本だ。
特に好きなのは日曜はダメよから始まり、バーチャルガール、いだてん、ごめんね、青春。かな?最近?はトレース、絶対零度、俺んちの話や朝顔、大豆田とわ子とか天国と地獄、ペペロンチーノ、a tableとかラストマンに警視庁考察一課、シッコウ!だ。最近はらんまんがイチオシである。暴力シーンがあるドラマについて暴力シーンはほぼほぼ飛ばしてるのは性質ゆえなのでなんとも言えないけれど、めっちゃコメディか多分日常系に偏ってる。

要するに、お二人の話からマンガ自体は好きなのだけれど、なんでもマンガ的になるのは好きじゃないなとあらためて私が実感した話だった。

🌟学校教育について
お二人の対話の中で学校教育についてがやはり1番頭に残っているのは幼稚園教諭や学童のスタッフとしての期間が仕事で1番長かった故、もう癖のようなものだなぁとぼんやり今になると思えてくる。
古賀さんの国語教育の歴史についてはほんとわかりやすくて、こういう感じで学べるって最高だわ。と感じるばかり。

そう、テーマが《自由》ってむつかしい。

わたしはテーマがあろうとなかろうと気が向くまま思うがまま表現しようとするタイプなのであまり気にはしないのだけれど、誰かの顔色をうかがってそうできない子が現実的には多い気もする。テーマがあっても表現できる子とできない子はいる。幡野さんが仰ってたみたいに、先生と周りの友だちが見本になるのが学校というか日本の教育、保育世界だ。よい見本だけならいいけれどね。どれがその子にとってよいかは人それぞれだから選べるといいのになと思ってしまう。現場にいたニンゲンからすると先生と呼ばれる人たちや保護者と呼ばれる家族のひとたち自身もいかに周りと同じくらいがいいと思い込ませてしまう傾向は未だに根強い。個性を大切にといいつつ同じくらいをイチバン求めてると。
あ、パワハラ、モラハラ、セクハラも未だに多いよ、残念だけど。
だからつまんなくってやめちゃったのだけど。

それは置いといて。
表現の一定化は幼稚園に勤務している時にも学童で働いている時も痛いほど感じた。そしてどの分野でも悪い意味で全体的にマンガチックだと。まぁ、わたしもその中の1部ではあるのだけれど。そのなかで絵のことで言えば、確かに私が小学2年生のときと4年生のときに感動した同級生たちのような絵を描く子は今どれくらいいるだろうかと思うと、おそろしいことが起きているんじゃないかと思わず身が震えてしまう。だからこそ日常にあふれるものから作品と呼ばれる物たちから技法を知ること、その筋の専門家から学ぶことは大切だと思うし、なにより身体自身にも落とし込むための実験やフィールドワークはセットにしてほしい。わたしは指導者が気に入らないから、好みと違うからという理由で正しくないからと訂正してしまうのは指導でなくて、ただの奴隷化もしくはクローン化だと思ってる。
ほんとつまらない。

そう思うと、元上司には全否定されたけれどやっぱり元々持っている自分の世界を自分以外の人たちと共有しあえるのってやっぱり奇跡だなぁと思うばかりである。
評価が前提なのはしようのないとこも多いけれど、だけど正解さがしよりもやっぱり発見することをおもしろがれたら最高だなあ。
日本の教育、変わっていけたらいいなぁ、と思うけれど。まだまだ思うばかりだし、自分ひとりではなんともできないことでもあるなぁと、質疑応答中も考えてた。

お二人のお話を聞いてこれは超個人的な願望なのだけど、幡野さんと古賀さんの教育に関すること、いつか五味太郎と対談やってほしいし、国語の本作ってもらえたら嬉しいなぁとそんな未来を夢想した。

お二人の間には終始ゆるやかな波と海の中を感じてとても心地よかったの。


この2冊が大好きな人たち同士でながくつないでいく穏やかな日常が続いていけたら嬉しいと思うばかりなのです。

蛇足でわたしのこの2冊のテーマソングはこちらの4曲です。よかったらあわせて聞いてみてくださいね。




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