私が私になる前に (3)
「ねぇ、あの小説読んだ?『プリーツ』。女子高生連続殺人事件の犯人も女子高生でしたってやつ」
靴を脱ぎリビングに向かう最中で紗英は問う。確かあれは、27歳くらいの岸飛鳥(きしあすか)によるデビュー作にして問題作。
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僕は女子高生が嫌いだ。馬鹿な女も、賢い女も、どこか男を見下す様なあの目が特にね。若さや制服で自分に価値があると勘違いしてる様な人は、そういう要素がターゲットになり得ることを思い知らせないといけない。そして、最も近くに脅威は潜んでいるということを。
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彼の授賞式で放った言葉だ。会場が一気に凍りついていたのを覚えている。男でありながら中性的な名前と端正な顔立ち、手入れの行き届いた黒く艶のある長髪と白い肌。幽霊と紙一重な透明感を持つ彼の表情がニヤリと歪む光景に、当時中学生だった私は画面越しに命の危機を感じた。分野問わず多方に物議を醸し、SNSでの炎上も暫く収まらなかった。不穏の広がりに比例する様に、売れ行きも好調。読書好きを名乗る者に、この一件を知らない者は居ないだろう。
「僕が仮に読んでいなかったとして、あの作品をそんな風にネタバレされるのは理解に苦しむよ…。もちろん読んださ、小説よりも作者のインパクトの方が全然強い」
彼女はあまりミステリー小説を読まない。以前、そう言っていたはずだ。オススメを聞かれることはあったが、それも半年に一回程度のものだった。その彼女がミステリー小説の話をしている。いや、大凡の見当はついていた。つい先日、岸が死体で発見された事についてだろう、それも女装姿で。現場の状況からして自殺と見られているが、デビュー時の発言を知っている者からしたら、男が女装している事実以上に動揺を隠せないものだった。
「そう、その作者についてなんだけど」
やはり、そうだ。
「君に似てると思わない?」
思考が停止する。さっきと一緒だ、変な汗が溢れる。彼女はとりあえずソファに座ってと手で促し、キッチンの方でコップにお水を汲んで持ってきた。
「言っている意味がわからない」
何度同じやりとりをしているのだろう。その中でも一際意味のわからない発言に喉が締まる感覚を覚えた。
「彼のあの作品、被害者の一人に女子高生の格好をした成人男性が混じっていたでしょ?計画的犯行ではなく、見かけで襲いかかる通り魔的犯行。その男性の性器が切り取られていることが綴られた場面は、作品の中でもかなり具体的に書かれてて、しつこい程だったと思う。彼は、女子高生の中でもより【女性】であることに執着した。まるでそれこそが悪かの様に」
何食わぬ顔で女を生きる女が憎い、か弱そうに見せる女のことが。犯人の供述はその様なものだった。
「顔色悪いけど大丈夫?」
彼女は言う。自分でも分かるほど平常心ではなかった。
「それと僕になんの関係があるの?」
吐き出す様に問いかけた。今すぐ飛び出したい気持ちだ。喉が渇いて水を手に取るが、それすら怖かった。
「彼の身分証の性別は、あんなに嫌いと言っていた女性。彼は、男を見下す目をした女性が嫌いというよりは、自分自身が男であることに強く疑念を持っていた。そしてそれは、君も同じ様に感じるのだけどどうかな?」
「なぜそれを」
まるで身ぐるみを剥がされた様な、羞恥と恐怖が同時に襲いかかってくるのを感じた。