私を知らないコーヒーとの優しい距離感 (お題: コーヒー)
「あ、ホットコーヒーのレギュラーサイズ、お持ち帰りですよね?用意しときましょうか?」
よく行くチェーンのファーストフード店で注文の列に並んでいた時のこと。あともう一組で私の順番がくる、というところだったと思います。
ひとつ前にいるのは、海外からの観光客と思しき日本語の通じない方が2名。カウンターの店員さんが注文を取るのに手間取っていました。
仕事の休憩もかねてコーヒーを買いに来ていた私は特に不満に感じることもなく、気長に待っているつもりでした。
そんな折に、カウンターの奥側でサポートする店員さんと目が合い、声をかけられたのです。
「あ、はい、お願いします。」
私は動揺を悟られないようにポーカーフェイスを装いながら、答えました。
というのも、このお店で私を私と認識して話しかけられるのは初めてだったからです。何を頼むかまで覚えられているとは思っていませんでした。確かにファーストフード店なのに毎回テイクアウトでコーヒー1杯しか頼まないのは少し目立っていたかもしれません。
軽率だったな、と反省します。
いや、店員さんは何も悪くないのです。むしろとても気が利く対応でした。
それなのに、こんなふうに反省の気持ちが頭をよぎるのは、店員さんに認知されず、匿名性の高い存在でいたいと思う、自意識過剰な私の問題です。
以前もこんなことがありました。
勤務先近くのスターバックスで、いつも同じものを頼んでいたら、店員さんが、いつも通りの注文に素早く対応した後に、軽く話しかけてくるようになってしまいました。
「あれ、今日はいつもの人と一緒じゃないんですね」
実は、そのカフェには仲の良い同僚とランチを食べた後に行っていたので、ある日、一人でそこにいったら笑顔でそんなふうに声をかけられました。
「そうですね」
放っておいてほしかった……と思いながら私は作り笑顔を返しました。お気に入りの居場所だったのですが、そう話しかけられてからは、そこへ行く頻度が自然とぐっと下がりました。
なぜこんなに、店員さんに認知されることに抵抗を感じるんだろう、と思います。
母は1度しか行ったことのないレストランの人が自分を覚えていて、話しかけてくれたことがうれしいと話します。
同期は毎晩利用するカラオケで名前を覚えられ、イベントに招待されたことを喜んでいました。
友人の一人は行きつけのバーに仕事終わりに立ち寄り、そこでとりとめのない会話を楽しむことを息抜きにしています。
そういった、ビジネスライクでない心の通った交流を楽しむ気持ちに、共感できないわけではないのです。
けれども私は、毎日どのくらいの時間に誰ときて、何を注文して、どこの席で過ごすのかなど、何も知らないでいてほしいと思うんです。
同じように思う人はどのくらいいるのでしょうか。
自然と湧いてくる感情なのでなぜそう思うのか、うまく説明するのは難しいのですが。
たとえば、極端なことをいうと、私が1日中カフェでさぼっているようなこともあるかもしれないじゃないですか。そういう時に、この人、仕事戻らなくていいのかな…と思われたくないですし、少しうとうとしていても、あ、疲れてるのかな、こんな表情で眠る人なんだ…などと思われたくないというような感情です。
そうかいてみると何か悪いことをしようとしている人のようです。
でもそうではなくて。
コーヒーブレイクの時間は心休まる時間でありたくて、そのためには家に引きこもっているのに近しい心理的安全性を望んでいるのでは、と内省してみて思います。中途半端に知人がいる場所では気を遣ってしまって少し息が苦しく感じます。
長いこと、そう思ってしまう自意識過剰な自分がとても嫌だなと思っていました。
そんな私が救われたように感じたのは、友人とこのことについて話し合った時です。
彼女は紛れもなく店員さんにすぐに認知されるような、高い社交性を発揮するタイプです。
にも関わらず、彼女は私を否定せず、
「そういう人がいるのもわかるし、もしその人のことを認知していても、その人が放っておいてほしい人だと察して適切な距離をとれるのがプロの接客なのでは」と言いました。
なるほど。そうか、そうなのかも、と思いました。
私も無理に店員さんとの気さくなおしゃべりを楽しまなければと思わなくていいのかもしれないと。
そこで思い出すのが、家の近くにある、とてもおいしいカジュアルなイタリアンレストラン。
そのお店でホールを任されている女性は、いつもフレンドリーで、退店時には扉の外までお見送りまでしてくれるのですが、それ以上に距離を詰めるような言動を一切しないのです。そのことを私はとてもありがたい、と毎回思っていました。
もしかしたら、1,2ヶ月に1回、いろんな人を連れて行っている私のことを、あの店員さんは気付いているかもしれません。いや、あの心地よい接客ができる人は気付いているに違いありません。
けれども敢えて私がどうしてほしいかを察して一定のラインを超えるような行動はとらないのでは?と改めて思ったのです。
心地よい距離感を見極め、敢えて深入りしないことも大切なコミュニケーションなんだと実感します。
けれど、そんな距離感を無言で毎回店員さんに求めるのは理不尽な話です。
だから私は気まずい思いをしないように、敢えて、初めての店も含めてなるべくいろいろなカフェに行き、なるべく印象に残らないような定番のメニューを頼みます。
その居心地の良い空間にいる私は景色に溶け込む透明な存在に等しく、私を知らないコーヒーは、その優しい距離感で、今日も私を癒します。
このコラムは、「コーヒー」「待つこと」「ゆらゆら」といったさまざまな共通の言葉に対して、背景も活動分野も異なる4人がエッセイを書く「日常の言葉たち」をリスペクトしつつ、同じテーマで自分も書いてみようという試みを実施するものです。
コーヒーは大好きですが、自分らしいコーヒーとのかかわり方となると、切り口がとても難しく、本書がいかに良いエッセイなのかがよくわかりました。引き続きがんばって書いてみようと思います。
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