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痛いほど、忘れ得ぬ青春映画。

痛くて痛くて、息ができないほどに苦しくて、体の一部から物理的に血を流した方がよっぽど楽だと思えるくらいに、”あのころ”の痛みはどうにも出来ない。大人になってからの苦労に比べたらまだましだとか、そんな比較すら、意味が無い。青春をサバイブしてどうか強くなった自分は世の中に対する耐性があるが、裸に剥かれた思春期のうぶな心には指先の一撃でも痛い。

そういうものなのだ。だから、苦しさに出会ったとき、アドバイスや慰めが和らげてくれることはあっても痛みそのものを軽くしたり、元に戻る迄の時間を減らすことはできない。それはまるごと、どんなに不可能に思えても、自分で咀嚼して取り込んで、乗り越えていかなければいけないものだ。

できる、できないではなくて、やるか、やらないか。年齢も環境も関係ない。赤ちゃんだって、全身の骨を脱臼させる痛みに耐えながら生まれてくる。大人だからとか。男だからとか。母親だからとか。そんな理由で、平気なふりをしたり、何も感じないふりをしてみたり、自分の弱さを自虐したり、そういうの本当に嫌いだ。人それぞれだから、そうすることには異論はない。けれどその「見せ方」で何かに優ったり勝っている気になっている人は嫌いだ。大事なところを突き抜けず我慢した(させられた)ら、中途半端にさなぎのしっぽを残したままの蝶々になる。痛みは一生、続く。

大切な人を何人も弔い、それでも自分の意志で生きようとする『レオン』のマチルダ、焦燥と不安と怒りとでこの世から”消える”選択しかできなかった『ヴァージン・スーサイズ』の5人の姉妹たち、自らのルーツに行き着くことで荒みつつも温かだった少年時代に別れを告げざるを得なかった『マイ・プライベート・アイダホ』のマイク、体がなくなるほどの哀しみに感情を爆発させ大人への階段を上った『マイ・ガール』のヴェーダ、子ども時代、親にかけられた哀しい”呪い”を歌うことで解き放った『心が叫びたがってるんだ。』の成瀬。皆、痛い。「なんとかならなかったのか?」の言葉が思わず口をついて出てしまいそうに、痛い。

でもそうしてこちらが余計な気を揉む頃には、彼らは皆、まっすぐ前を向いている。嵐でひしゃげた若葉が、日の光を浴びてまたゆっくりと起き上がるように。そのとき感じた痛みはやがて、柔らかな感傷となって、大人になってからも時折ふと、手を止めて物思いに浸らせることはあるかもしれないが、もう何の怖いことも、与えはしない。全身で、全力で今を生きる、その先にいくつもの「今」がある。かつてそうして乗り越えた人も、さなぎのしっぽを残したままの人も、きっと一瞬で”あのころ”の自分にもう一度出会わせてくれる作品達に、もしある日立ち止まり、心に暗さを抱える瞬間があったなら、出会ってみて欲しい。

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