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マミーブレインとともに生きる
マミーブレイン——。産後に記憶力や集中力、思考力、判断力が低下する状態を指すこの言葉は、知識としては知ってはいたものの、自分には無縁のものだと思っていた。
一人目の産後、一晩通しでぐっすり眠る手のかからない長女を、数か月にわたる長期の育休を取得した夫と二人で育てる毎日には、正直なところ余裕があった。里帰りはせず、退院翌日から新米パパママ二人きりでの子育てがスタートしたため、もちろんそれなりに忙しく、特に授乳に関しては試行錯誤する毎日を送ってはいたものの、いま振り返ると当時の私たち夫婦には時間的、精神的な余裕がずいぶんとあったように思う。
その頃巷では、当時の岸田首相の「リスキリング」発言が切り取られ、一人歩きして物議を醸していたが、我々夫婦は学び直しという言葉を非常に肯定的に捉え、ふたりで一緒に英語学習を始めることにした。
手始めに、娘が寝る前の15分~30分をラジオ英会話の時間に充てた。長女が生後2か月を迎える頃までは、夜寝る前だけ粉ミルクを飲ませていたため、沐浴を終えると夫がミルクを作ってくれるのがルーティンだった。ミルクを冷ましている間に、かつて私が受講していたラジオ英会話のテキストを広げ、夫が娘を抱っこしてミルクを飲ませながら二人で勉強した。
次第にそれだけでは物足りなくなり、私はオンライン英会話を始め、夫は単語帳を買って勉強を始めた。
長女が生後半年を迎える頃、それまでの学びの成果を数値で確認してみようということになり、二人で初のTOEIC受験にも挑戦した。
朝、夫が午前の試験を受けるため、自宅を出発する。私は試験終了時刻を目指して長女と電車に乗る。そして試験会場で長女を夫に託し、午後の試験を受けた。二人同時に試験を受けることができれば、帰りに一緒に美味しいごはんくらいは食べて帰ることもできたはずだが、親になった以上、それくらいの我慢は仕方がない。工夫しながら学ぶことは、心から楽しいと思えた。
これとは別に、英語以外の個人的な学びの時間も確保していた。夫は資格取得に向けた勉強に余念がなく、私はといえば娘が寝ている間に読書に勤しみ、我々なりの「学びなおし」を楽しんでいた。当時、頭が働かないと感じた記憶はない。
ところが、二人目の産後見た景色は一人目のときとはまったくの別物だった。夫の育休は1か月弱で終了し、その翌日に長女が保育園に入園した。ベビーカーに長女を乗せ、次女を抱っこして保育園の送り迎えをする日々が始まったが、そうなると当然、どんなに寝不足であったとしても、朝は毎日決められた時間に起きて、登園の用意をしなければならない。
最初のうちこそ夫のお弁当作りも頑張っていたが、長くは続かなかった。長女を保育園に送り出すので精一杯だったのである。次女は夜中に何度も目を覚ますタイプの赤ちゃんだったので、何か月経っても通しで眠れず、睡眠不足が常態化して初めて、私は「マミーブレイン」の恐ろしさを思い知った。
何のために冷蔵庫を開けたのかわからない。夫に同じ質問を重ねてしてしまう。料理中、スマホでレシピを調べて調味料を確認し、画面をオフにした瞬間にもうその分量が頭から抜け落ちる。
自分のあまりのバカさ加減に落ち込んでいると、ひとまず寝な、わるいことは言わないから寝ておきなさいと夫に肩をたたかれた。
産後の抜け毛が落ち着いてきた産後6か月頃になると、過労による体重の減少に伴ってどんどんアホになっていく自分を受け入れられるようになり、様々なことを諦めるのが次第に楽になっていった、いや、諦めざるを得なくなっていった。
娘たちに温かい食事と寝床、アホだけど笑っているママという安心できる居場所を提供できていれば、それだけで百点満点ではないか。目標を低く掲げることに決めた。マミーブレインとともに生きることに決めたのである。
情報処理能力に優れた頭脳は失っても、かつて感じたことのないほどのしあわせを、ふとした瞬間に感じられるようになったのだからそれで良いではないか。失っても、かならず得るものはある。だから、大丈夫。アホな頭には少し休んでいてもらって、いまは娘たちとの時間をとにかく大事にしよう。
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