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(連載小説)キミとボクの性別取り換え成人式④

自分がどうやらFTMトランスジェンダー(身体の性は女性・心や表現したい性は男性)である事を悟った操はこのままだと中学生になれば髪を伸ばさせられ、おかっぱか三つ編みにしてセーラー服を着なくてはいけないと云ういわば「強制女装」状態になるのはどうしても避けたかった。

それに操の地区の中学校は以前校則で髪形は男子は全員丸坊主、女子は全員おかっぱだった頃があり、その名残で入学時にはいったん男子は全員丸坊主、女子は全員おかっぱにして入学式を迎えると云う「慣例」があった。

今でも学校として髪形はは丸坊主・おかっぱが「望ましい」と云うスタンスなのだが学校現場でよくある「人権重視」や「時代の流れ」などともっともらしい理由を付けて世間やマスコミの批判や話題になるのを避ける目的もあって校則が変わり、「中学生らしい髪形」なら容認しましょうと云う事になっている。

ただ入学時に実質強制的に丸坊主・おかっぱにする事は「校則」でなくて地域での「慣例」なのだと位置付ける事で人権派弁護士やマスコミの餌食にならなくて済んで来ただけで、大半の子はしたくもない丸坊主・おかっぱに一度は文字通り泣く泣くさせられていた。

事実近所の年上の女の子が中学入学を期にばっさりと髪をおかっぱにされ、恥ずかしそうな顔をしてセーラー服を着て学校に通っている姿を見た操はその子が小学校時代は活発だったのに制服と髪形のせいで恥ずかしそうで且つおとなしくなっているのを見てまるで飼いならされた動物のように見えた。

女の子だけでなく、一緒によく遊んでいた学年が上の男の子もやはり同様に中学入学に合わせて強制的に「慣例だから」と丸坊主にされてしまい、道端で会った時にどことなくバツが悪そうだったのを覚えていた。

周りの大人たちはこうして地域の小学生が中学に上がる時に丸坊主・おかっぱになる事を「大人になるための通過儀礼」と捉えている人が多く、刈り立ての丸坊主やばっさり切り立てのおかっぱの子を見ると「”お兄(お姉)ちゃん”になったね。」と好意的な口調で接するのもこれまた「慣例」だった。

こんな感じなので仮に自分がFTMトランスジェンダーとして周囲に受け入れられ、男子中学生として学校に通う事ができるようになったとしてもとりあえず最初は丸坊主にしないといけない訳だからそれもどうかと思ったし、何よりこの保守的な田舎ではまだそこまでトランスジェンダーについて受け入れる雰囲気ではない為いくら丸坊主にするから男子として見て欲しいと云うのは無理だと思われた。

そんな事を検索を終えて家に帰る道すがら考えてながら歩いていた操に「あれ?、操ちゃんじゃない。よっ!久しぶり!。なんだか元気ないけど?。」と誰かが声を掛けてきた。

見ると声の主は以前に町のボランティア行事で一緒になった男の子だった。
ただ確か今年から中学生になったと聞いていたのに髪形が丸坊主ではない。

「ああ・・・・・久しぶりだね。でもその髪どうしたの?。てっきり中学生になったんでボウズかと思ってたけど・・・・・。」

そう言われた男の子は「へへ、そうなんだよ。実はね、俺中学受験して今は私立の中高一貫校に行ってるんだ。そこは髪形は特にパーマとかカラーとかしてなくて極端に変じゃなかったら別にボウズでなくてもいいんだ。」と言う。

それを聞いて「その手があったか!。」と操は小躍りしそうになった。
中学は義務教育だが別に地元の公立でなくても受験して受かれば私立でもなんでもいい訳で、それなら無理におかっぱにしてセーラー服を着ると云う自分にとってはまるで強制女装をさせられているような学校生活からは逃れられる。

ただそこの学校も制服はあって、女子はブレザーにタータンチェックのスカートを履くようになっていた。しかし髪形は地元の公立みたいに細かく決まっている訳でなく、男子同様パーマやカラーをしておらず、極端な髪形でなければあまり言われないという事で運動部の子を中心にいわゆる「ベリショ」の生徒もいるとの事だった。

それを聞いた操はがぜん中学受験をする事に気持ちが傾いた。スカートは履かなくてはいけないがそれでも髪形は今のままでも良さそうで、何か言われたら「ボーイッシュな髪形が好きなんです。」と言っておけば「あっ、そう。」で済みそうなだけでもかなり違う。

そして家に帰って両親の前で中学受験をする事を宣言し、次の日学校で担任にも同じように中学受験をする事を告げた。

担任の先生はこんな田舎の小学校からでもこの地域でも名門と言われている私立の中高一貫校に受験を突破して進学する子がいるとなれば学校、ひいては自分の実績になる訳なので好意的だったし、事実操は勉強もよく出来るので少し頑張れば合格も夢ではないと言ってくれた。

家の方は「何も高いお金出して私立に行くんじゃなくて地元の中学に行けばいいじゃない」的な雰囲気もあったが全くダメと云う訳でもなく、授業参観後の懇談会で担任から操の今の成績なら中学受験をする価値はあると言われた事もあり、そこまで反対されないようになっていた。

そして操に更に追い風が吹く出来事があった。それは新たに県立の中高一貫校がちょうど自分が中学入学に合わせて開校すると云うニュースだった。

その学校は操の家から通うのに片道2時間半もかかるのだが始発に乗ればなんとか通えない事も無さそうだったし、県立と云う事で授業料や諸費用も私立と比べて随分押さえられそうだった。

そして何より制服が新設校と云う事もあり、ジェンダーフリーやSDG’sの流れを受けて制服は「標準服」と云う形でジェンダーレス制服が採用され、女子もズボン(スラックス)かスカートがが選べるようになっていると聞いた。

これを聞いて操はもうこの新設の中高一貫校を受験し、そして絶対に合格するしかないと心に堅く誓ってその日から猛勉強を開始した。

この学校の受験に失敗すると自分は髪をおかっぱにされ、着たくもない大嫌いなセーラー服を着て3年間も強制女装状態で中学校に通うしかない。

しかしこの中高一貫校に合格すれば髪形ははおかっぱでなくて今のままの女子としては「ベリショ」、男子としては「坊っちゃん刈り」でいいし、スカートも履かなくてもいい。

そして中高一貫校と云う事で高校受験の心配もしなくていいし、何より中学部分だけでなく高校部分も含めてジェンダーレス制服が採用されているので6年間はスカートと縁のない生活が保障される訳で、それを思うと早朝からの片道2時間半の通学なんぞ髪をおかっぱにされてセーラー服を無理矢理着せられる事に比べたら操にとっては全く問題ない事だった。

それもあって受験勉強は全然苦にならず、また放課後や休日に大好きな地元の野山で遊びまわる回数は受験勉強の為に減ったがこれもすべて志望校合格の為だと思うと同じく苦にならなかった。

受験は学科試験だけでなく、面接もあったのでそちらの準備も手探りしながら進め、努力の甲斐あって見事操は新設された中高一貫校に合格した。

そして丸坊主・おかっぱにされて憂鬱な表情の同級生から羨望の眼差しを受け、はつらつとした気持ちでもちろんスカートではなくスラックスのジェンダーレス制服を着て早朝に自宅の最寄の無人駅から列車に乗り、意気揚々と学校へと向かったのだった。

入学してみると新設校と云う事で特色を出すためにカリキュラムが独特なので従来の学校に物足りなさを感じていた意識高い系の優秀な生徒が多く、また新設校だから校風や伝統はこれから自分たちが作っていく雰囲気だったので逆に伝統校だったら良くも悪くもありがちな縛りがなく、これも操にとっては居心地のいいものだった。

また一応戸籍上・身体上の性である「女子」として入学した操だったが、案外制服ではスカートではなくスラックスをチョイスしている女子生徒も割に居てひと安心した。

もしかしてこの子たちは自分と同じ性自認(FTM)なのかとも思ったが、これに関しても説明会の時に寒さや冷え対策や動きやすさ等の機能性もあって女子でもスラックスを選べるようにしているので「トランスジェンダーではないのか?。」と詮索や偏見をしないで欲しいと学校側から事前に言われていた事もあり、それで安心してスラックスを選んだシスジェンダー(心と身体の性が一致している)女子が結構いるようだった。

事実スラックスとスカートを併用している女子生徒も結構居て、冬になると半分以上がスカートからスラックスに履き替えていた程だった。

実際学校生活が始まってみると遠距離通学の為の早起きはさすがに最初の頃は難儀したが、それでもスカートを履かなくていいし、髪を無理に延ばしたり女の子らしい髪形にしなくていい事で一種の爽快感さえ操は感じていた。

おまけに新設校なのでこれから建物や設備も段階的に増築するらしくてプールが学校内に無く、体育での水泳の授業は年に数回近くの市営プールを借りて行う方式で、中学の時には女子用のスクール水着を着るのが嫌で仕方なかった操にとってはズルいとは思ったが水泳の時は仮病を使って見学や保健室でタヌキ寝入りを決め込み、友人たちには「実は泳げないので水泳が苦痛」と云う事にしてスクール水着からも逃れていた。

ここでの学校生活は操にとって楽しく、充実したものだった。
とにかく意識高い系だったり才能豊かな生徒が多く、また陰湿だったり嫌味な性格の生徒は面接で排除されたのか余り見かける事もなく、そういう事で中山間地域で育ち、野山で遊んでアドベンチャーな毎日しか今まで知らなかった自分にとってこの学校はいい意味で刺激的だったし、自分の知らなかった外の世界に触れられる事で心も満たされる思いがしていた。

また交友関係では一応操は「女子」と云う事になっているので友人は女子が中心で、いわゆるクラスの中での「女子グループ」にも属していたが、誰も毎日スラックスでスカートを決して履く事のない操に対して偏見やフェミニンさを押し付けてくる事もなく、そのうちいつの間にか操には「ボーイッシュな女の子」と云うキャラが定着してしまっており、それにうまく乗っかっていた。

それどころか操は活発でさっぱりした性格だったし、遠距離通学ではあったが逆に始発やローカル線なので空いている路線の特性を生かして車内での勉強の時間も確保したり、日頃の野山でのアドベンチャー生活が功を奏して足腰が鍛えられているせいか運動面でもまずまずだったので「文武両道」で性格もいいと男女問わずモテるようになっていた。

特に女子からは「宝塚歌劇で人気のある男役」のような存在として操は捉えられる事が多くなり、SNS上では密かに操のファンの生徒がグループチャットを立ち上げたり、ファンクラブのような集まりさえ出来ていた位だった。

ただ操の心の中ではカミングアウトしたくても出来ない現状に不満ややりきれない気持ちが次第にうず高く積もるようになっていた。

そしてこの中高一貫校を卒業したら住み慣れた中山間地域の実家を出て、都会それも東京で大学生活を送りたいと願うようになっていた。

都会でひとり暮らしをするようになれば誰にも気兼ねなく毎日ずっと男物を着て、わざわざ言わなければ実は女だと分からないような生活がしたいと憧れのようなそれでいて切実な気持ちを心に抱いて操は過ごしていた。

また周りが意識高い系の生徒ばかりで、いつも何かしら将来を見据えたような目標や希望を口にするのに接していると今後自分が男性になった後はどうするかを自然と考えるようにもなっていた。

最終的には性別適合手術を受けて身も心も戸籍も男性になりたいが、手術するにもお金が必要だし、となるとちゃんとした職業に就くだけでなく食べていく為にキャリアも積む必要がある。

そう考えると色んな職業・職種がある中で建築関係の仕事がいいのではと操は思い始めていた。

操の実家は山林をいくつも持っている資産家で、代々地元の森林組合の役員をしている程だった。

小さいころから野山を駆けずり回り、森や林が自分の「主戦場」だった操にとっては木材と林業は日常的にそこにある存在で、また最近は国産材に人気が回帰してきている傾向もあり、それも手伝って操の実家の周辺から切り出された材木には需要が高まり、またなかなかの高品質と云う評判だった。

それと操にとって重要だったのは建築に関わる設計をするにあたってとりあえず社会的な性は関係なく、男であろうが女であろうが関係なくクライアントの望むものを形にしてくれることが評価される世界のように思えたからだった。

そんな事もあり「ジイちゃんの山から切り出した材木で一流の建築物を作りたい」と半ばわざと泣かせるようなセリフを言い、建築関係の学科のある東京の大学の進学を許してもらって操は上京してきたのだった。

「そうなんだ・・・・・操クンもいろいろ苦労したんだね・・・・・。」

と操の身の上話を缶ビール片手に台東飯店でもらったオミヤゲをつまみに飲み食いしながら聞いていた志郎はしみじみそう思っていた。

トランスジェンダーである事に気づきながらそれを誰にも言えずに高校卒業までずっと自分の心の中にしまい込み、セーラー服が着たくないためにわざわざ中学受験をして5時台の始発に乗り、中高の6年間をジェンダーレス制服で続けた事をはじめ、とにかく「しなくていい苦労」をこれまでに操はたくさんしているんだと思わずにはいられなかった。

中高の時に宝塚の男役みたいな感じで大層人気があったと云うが確かにこのさっぱりとして頭の切り替えも非常に早くて且つ切れる操なら男女問わずモテるだろうと思ったし、事実今日が志郎とは初対面なのに操は打ち解けてこうして初対面の人には普通は話さない自分のセクシャリティについてあっけらかんとした口調で話してくれ、またそこまで深刻さも感じさせない。

でも自分はと言えば地元よりかは女装しやすい環境で暮らしたいと云う願望で上京してきて隠れてコソコソ女装をしているだけのただの女装子な訳で、操の様に周りの環境が自分のセクシャリティにとって切実だったり、将来的な人生設計まで見据えて上京してきたのとは大分違う。

こうして目の前にLGBTQの当事者が居て、ネット上や噂には聞いていた当事者ならではの苦労話を聞いているうちに志郎は自然と口数は減り、表情も曇ってきて酒やツマミも進まなくなってきていた。

そんな湿っぽい雰囲気を察したのか操が「志郎クン、なんか急に元気ないけど?。やっぱ俺の話ってちょっと重かったかな?。」と言ってくる。

「いや・・・・・そんなんじゃなくて・・・・・。ただトランスジェンダーであるが故にとても苦労したり嫌な想いをいっぱいしてきた操クンに比べて僕なんかただの”女装子”でさ、苦労って云う点では全然操クンに及ばないっていうかなんて言うか・・・・・。」

そう言う志郎だったがそれは本音だった。
自分のやっている「女装」と云う事は言わば「趣味」、それも服装や髪形やメイクを含めた「好みのファッションの一つ」でしかなく、身バレしないように女の子の恰好をするのは確かに苦労はあるけれどかと言って身体に違和感があったり、セクシャリティで悩んでいる訳でもない。

おまけに上京したのは女装しやすい環境を求めてと云うのが主な理由で、卒業後は普通に安定した仕事に就職できれば業界や職種はなんでもいい程度にしか思ってなく、セクシャリティ関係なく高校時代から既に将来的なキャリアアップまで考えて学部を選んで受験し、上京してきた操から比べるとなんて自分は浅はかなんだろうと恥ずかしい気持ちさえ覚えていた。

でも操は少し不思議そうな表情をしながら志郎がそう言うのを聞いていて、そしてこう言った。

「そうなんだ。でもね、俺別に”不幸自慢”してる訳じゃないし、もちろん志郎クンに対してセクシャリティで悩んだりしてなくていいなーだなんて思ってないんだ。それに志郎クンだって女装子で居るために苦労してる訳だし、ジャンルは違うけど俺も志郎クンも”マイノリティ”には変わりないよ。」

そう言われた志郎は操の持ち前の切り替えが早くて割り切った考え方や物の言い方に随分救われた気がしていた。

「マイノリティである事はこれは隠せない事実。だけどマイノリティでいる事は悪い事だろうか?。自分の嗜好や趣味が世間一般から見てたまたま少数派に属しているだと云うだけの事で悪い事でもなんでもないよね。」

そうなのだ。上京してきたのは女の子の恰好でいる時間を増やし、その増えた時間を気兼ねなく過ごしつつ出来れば服装の趣味が一緒の理解ある同好の仲間と一緒になって楽しみたいから上京してきたのであって、女装に夢中になって学業をおろそかにしている訳でもない。

いわば「趣味活動」の一環なのだが、その内容がサッカーやってます、カフェ巡りやってますと云った風に世間一般に今のところ受け入れられないので仕方なくコソコソ隠れてやっているだけで、人目を避けて部屋の中で女装する分には自己満足はあるにしても特に他人に迷惑をかける訳でもない。

そう言われて志郎は随分気が楽になっていた。
そしてマイノリティである事に引け目を感じる必要はなく、ましてや女装子である事に引け目も感じる必要も無いと言ってくれた操の言葉には説得力もあり、気が楽になった志郎は再び缶ビールを片手に陳さん特製のツマミに箸が伸びるのだった。

(つづく)

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