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産まれつき片足が無い高校の友達

僕は高校時代、寮生活をしていた。そして僕たちはいつも学校が終われば、毎日フィーバーして友人たちとサッカーをしたり、何処かへプラプラと出かけたりして遊んだ。

その友人の内に、一人片足が無い友人がいた。

そして彼は運動が好きなので、いつもサッカーをしたり、バスケットボールをして遊んだのだ。

ある日、いつもの通り寮へ帰り、僕たちは寮にある室内の運動場で遊んでいた。彼はいつもサッカーではFW。バスケットボールではシューターだ。

右へ左へ走る。そして誰もが手加減をしたりしない。時に激しく転んだりすると「ほら、早く試合を続けるぞ!!」と皆で励まし合う。

ある時寮の管理人の人が、僕たちの行動を見て、これは非人道的だと問題視した。

何でも片足が無い生徒を無理やりスポーツに参加をさせてイジメていると思ったらしい。

でも僕たちはそれに大きく抗議をした。


「片足が無い生徒はサッカーをしてはいけないのか?」「僕たちが気を使って彼をコートの隅に座らせるのが、道徳だと言うのか?」


僕たちは誰一人として、彼を身体障害者だと思ったことは無い。僕たちは皆違いがなくて、皆同じであると思っていた。そして本人だってサッカーをしている時やバスケットボールをしている時は、自分の足の事を忘れている。

一生懸命に走り、派手に転んでも、時に反則的な行為をしてまで、勝負に勝とうとするのだ。


僕たちは彼の事が好きだったし、きっと彼も僕たちの事が好きだった。

そして寮長であるおじさんも、彼を特別視したりはしない。僕たちと同じ様に、同じ事をやらせる。お前は足が悪いから労働的な事はやらなくても良いよとは言った事がない。

僕たちは特別視が好きではなかった。足があろうと無かろうと、それを特別な武器にしたり、慰めの対象にされたりするのが耐えられなかった。


だからこそ僕たちは気が合ったのかもしれない。


もし僕たちが彼にずっと気を使い続けている関係であったら、きっと彼は居心地が悪かったと思うし、きっと彼はその分だけ傷ついたかもしれないんだ。


人って見かけだけじゃわからない。内側でどう思っているかわからない。もしかしたら僕たちの行動だって、嫌だと思っていたのかもしれない。それは本人にしかわからない。


でも馬鹿なことをして笑ってる顔も、一心不乱に走っていた顔も、嬉しそうだったという記憶がずっと残っている。



障害者だから皆で守るべきだ。障害者だから皆が気を使うべきだという考えは、果たして正しいのか?

本当はそんな事で気を使って欲しいなんて微塵とも思っていないだろうし、それを喜んでいるわけでも無いかもしれない。


24時間TVのアーカイブをちらっと見て感じた事。違いなんて僕はハッキリと言って言葉は悪いけれどクソだと思った。そこには感動は無かった。



それよりも僕はその友人から沢山大事な事を学べた気がする。そんな番組なんかよりもずっとずっと大事な事をね。


しかも彼は愉快な奴で、いつも人を笑わせる明るい奴だったな。元気にやってるかなぁなんて久し振りに会いたくなった。


懐かしいなぁ…。また皆で集まりたいな。


それではまた👋👋👋👋👋👋👋👋




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