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オブラート紙。
昔僕が粉の薬が大嫌いで、ばあちゃんがオブラート紙に包んで飲ませてくれた。よく覚えていないけど、確か甘かったと思う。
僕がオブラートに包めば飲めるようになるので、家には沢山オブラート紙があったものだ。
紙のようで紙ではない。でも紛れもなく紙である。
そんな不思議で、何処かそそられるオブラート紙のお話…。
丁度もう18年くらい前だろうか、僕は酷い怪我で病院へ搬送された。
顔面が血のシャワーで濡れて、僕はその勢いに溺れるかと思った。顔という顔から吹き出る鮮血。フロントミラーで覗き込んだ顔はぐしゃぐしゃにただれて、これは自分なのかと驚愕した。そして「なんで僕がこんな目にあうんだ」と絶望した。
その刹那、僕の視界が暗闇に包まれて、絶望の底に突き落とされた。
昨日まで、いやついさっきまで僕の両目で捉えていた光が、一気に失われる。若干18歳という若さで僕は盲目の人生を歩まなければいけないと言うことなのだろうか?
なんて人生とは残酷なのだろう…。
僕は動かない身体をどうにか支えながら祈った。
「あゝ神様、仏様どうか僕の目に光を取り戻して下さい」
「僕の全てを捧げたとしても、どうか今まで通りの人生を歩ませてくれないでしょうか」
視界が漆黒に染まって、僕はパニックになった。酷い言葉をあげたと思う。取り乱して、僕はひたすら人生を呪った。
ふと顔に触れた柔らかいタオルの感触と共に、僕は更に叫んだ。「そうか、あなたのせいだな!あんたが僕の人生を奪ったのだ」
ひとしきり僕の顔を撫でた後、「どうかこのコを救ってあげて下さい。私はやれるだけの事をしましたから」と言葉が離れていく。
直後、まるで朝日が昇るかの如く。辺りが光で包まれていったのだ。
血で染まった車内。僕の覗き込む真っ白い顔をした妹。うずくまる母は助手席でヒーヒーという変な呼吸を上げていた。
「お兄ちゃん。目が見えるの?さっきの人ね、顔をぬぐってくれたのよ!あの人のせいじゃない…」
そうか。彼女の声が遠くなったのは。僕の目が光を取り戻すとわかったからなのだ。目を開けた若干10代の小僧に恨まれてしまう。それを避けようとしたのだろうか…。
なんて事を言ってしまったのだ…。
人の恩をあんな形で返してしまった僕は只管哀れだった。善意を善意と受け取れなかった自分。そしてその感情すらも乱した、酷い怪我。僕は只管後部座席のシートにもたれかかり、ただただ安堵と後悔の念に押しつぶされそうになっていた。
救急隊員がドアを叩き、スライドドアを勢いよくこじ開けた。
「大丈夫ですか!?身体は動きますかー!?」
僕の顔を覗き込み、ぎょっとした表情を浮かべ、僕の身体を支えてくれた。
「お兄さん、身体の具合は…」
辺りをギョロギョロと見回しながら「目が、目が見えます」「光が見えるんです」と只管繰り返していたのだ。
そして狭い車内に大人が二人も三人も押し入り、どうにか僕を車外から運び出した。
夏の蒸し暑さと共に、見上げた視線の先に見えた夕焼けの空が只管眩しかった。
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天井をぼんやりと見上げながら、規則的に気が抜けたような音のリズムを追う。
シューコーシューコーと口の周りが気持ちが悪い。顔の側面が青く腫れた妹が、僕を見下ろしていた。
真っ赤に腫れた目は、辛い物を沢山見てきたのだと瞬時に理解が出来た。
かすれた声で僕を呼んだ声。泣きながら後を追ってきた顔。どうして妹にこんな思いをさせなければいけなかったのだろう?何処のどいつが、何処の馬鹿野郎が僕らをこんな目に合わせたのだろうか…。
声を発しようとすると、喉にたんが絡み小さくむせ込んだ。近くにある吸口から水を飲ませて貰うと、冷たい水が乾いた喉を通り過ぎていく。血液と、細胞が活性化し、脳細胞にまで辿り着くと、今までの出来事の端々が全て繋がった。
「そうか…。僕は生かされたのだ」
想像を絶する手術の時。僕は両手両足を押さえつけられた。あの時の痛みは今でも忘れない。
ただれた顔面の上を右往左往するピンセット。肌に触れるたびに高電圧に触れた様に身体が仰け反る。これ以上の痛みはないと思った…。瞼を入念に弄るピンセットがただただ怖く。幾度も幾度も顔をかすめていく。
そしてその後の記憶はない…。
「お兄ちゃん。目が見えて良かったね。生きてて良かったね」
僕は只管その言葉に救われた。
若さのおかげか、または無駄に前向きな性格のおかげか。僕は予定された入院日よりも、幾分早く退院をする事になる。
そう言えば、今でも思い出す。主治医が漏らした真実。今考えるだけでも末恐ろしくなるような話の内容は、身体中の体温を一気に冷やしたのを覚えている。
「君ね、本当にツイてるよ。顔の傷なんだけどね、下手すれば君、盲目になってたよ。」
「あと少し傷がズレていたら。その眉骨がもう少し出てなかったら、今頃光を失っていた」
「その命大事にしてあげないとバチが当たるよ!」
「まぁ君の場合は大丈夫だろうけどね」
暇すぎる入院日期間中に、どこかしこへうろつきまわっては、周囲を困らせた。麻酔でも打つべきか、入院食のカロリーを幾分減らすべきか…。なんてことまで、ナースステーションで提案された程らしい。
「その怪我を綺麗にする事が出来る。でも完全に元のようにはなるという保証は残念だけど、出来ないんだ」
「もし顔に大きな傷跡が出来てしまったら、僕を恨んでくれても良いから」
少し無表情な顔に陰が落ちていた。僕の目を真っ直ぐ捉えようとして、その目は泳いでいた。
目が見えさえすれば、健康でさえいれれば、それ以上のことはない。顔の傷などただの掠り傷である。もはや、自分は生かされたのだと、それならば生かされたのならば、自分に課せられた宿命を果たす事がせめてもの感謝の気持ちなのではないか?
「顔なんていいっす。生きてさえいられれば。傷なんてわからんでしょ…。それよりも早く元気になって外に出てみたいんですよ!」
その言葉を聞いて、ふっと小さく笑い。
「上手くオブラートに包んだね…」
彼は滅多に崩さない表情を緩めて、声を出して笑っていた。つられて僕も笑った。
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どんなに苦いものでも、オブラートに包め込めば、それには角が無くなる。飲み込んでしまえば、良薬として体に良い作用を起こす。
それは人生に起こること全て、先人者達が行動によって得た様々な経験にも言えることだと思う。
転ばぬ先の杖。先駆者達が、身を持って危険飛び込んだからこそ、経験が生まれ、人々は危機を回避することが出来る。
そしてその辛さも、苦しみも、全てオブラートに包みこんでいく。
悪い物を如何に飲みやすくしてくれるか?
その薬を手にとって、その症状に良い作用を及ぼす事が出来るのか?その為に人々は綺麗にオブラート紙に包んで置いておいてくれるのだ。
「後ろを歩く人々よ、どうか自分の経験を役に立てて下さい。角が立たぬ様に、綺麗にオブラート紙包んでおきました」
「痛みを極力感じぬ様、またはその薬がきっと貴方の人生の道を照らしてゆける様にと願って…。」
その人生の一瞬一瞬を味わいながら、多くの愛を受け取る。そして有り余った愛は、足元に置いて去ってゆけば良い。
必要な人の元へ、必要な分の愛が届く。そして目の前の道には多くの包まれた愛が散らばっている。
「苦いお薬も、口から発する言葉も、全て柔らかくして相手に伝えなければ駄目なのよ…」
「そして棘がある言葉も、包まなければ口を切る事になるのよ」
僕は少しづつ祖母の言葉を理解できる様になれている。
どんな時にも柔らかその言葉は、常に僕の心をすーっと軽くしてくれた。
そして僕は、また必要が無くなった経験を、綺麗に隙間がなく包み足元にそっと置いた。そして目の前に置かれたオブラート紙に包まれた優しさを手にとって、僕はそれを胸にしまった。
世界とはこういうものだよな…。こういう風に出来ているのだな…。
だからこそ僕は、また何かの経験を拾って歩くだろう…。
いつか誰かが必要となれる様に、僕はその拾った物を大事にして生きていこうと決めた。
僕の後ろを歩く、光を求める人たちの為に…。