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人は皆装飾品だ。色とりどりの個人のカラーを持ち地球を彩っている

このクリスマスツリーとっても綺麗ですね!
色とりどりの装飾品が飾られて、まるで宝石の様に輝いています。

さて、僕がこの
写真を眺めていた時、ふとこの記事を書こうという気持ちが湧いてきました。
人は皆輝きを放っていて、誰一人として無駄な存在などないのではないかという疑問。

「いやいや、自分なんて大した存在ではない」
「隣のあの人の方が美しいから」

多くの人は謙遜をするでしょう。
僕は小説を読み始めてふと考えついた事ですが
もし小説の中で登場人物が一人でもかけてしまったのならこのストーリーはどうなっていくのだろう?

例えば主役や犯人役など
メインストーリーに絡んでいくものは勿論欠かせませんね。欠けてしまえばストーリーすらも始まらないですから。
じゃあ何でもない一言や二言で終わる脇役はどうでしょうか?
例えば犯人を目撃したという一般人の証言はどうでしょう?
その人の証言無くては犯人の足取りがわからなかったケースもわからなかったなんて事も多いはずです。

僕たちの人間が地球という星に産まれた時から
僕たちは光を放つんです。
それは非常に小さなものであったとしても
地球に取ってみれば貴重な光になりうる存在かもしれません。
先程のツリーの話しに戻りますが、綺麗な装飾品を飾らなければただのモミの木です。
こう言ってしまえば地味で目立たない木々ですよね。

でも一つ一ついろんな色が加わることによって
クリスマスツリーとしての輝きを放つんですよ。
輝きの大小差はあるかもしれませんが、輝きが強すぎる飾りのみをつけていたって、眩しすぎてアンバランスになります。大小色々な輝き、色々な彩りが絶妙なバランスを産んでいるんです。

人々を眺めていても人それぞれ皆違う。
違うからこそ、皆がそれぞれの役割を全うしている。
最近交通事故に遭って、病院へ通院していますが
同じ施設に皆が集まっても、それぞれ違った個性を持っています。
静かに待つ人、そわそわとしてる人、少しイライラしてる人、不安そうな顔をしてる人
でもそれこそが人の個性であって間違いでも正しいでもないんです。

組織としてグループが出来ても
皆がそれぞれの出来る事を自然と行います
モミの木に飾られた飾りの様に
皆が違った光を放つ姿は、遠目から見ればとてもきれいに見えるはずなんですよ。

僕が言いたいのは
誰かが誰かを羨ましがり、自分の持つ輝きやカラーを否定してしまう必要は全く無いってことなんです。
確かに強烈な輝きを持つ人は素敵に映ります
だとしても、自分が輝いていないという事は全く無いはずなんですよ。

先程のツリーの様に
赤色ばかりじゃなんかおかしい
色鮮やかでなければ何処にも飾られないクリスマスツリーになってしまうんです。

誰かの様になりたい
誰かの様な素晴らしい人になりたい
という気持ちは凄く大事です。
ただそれを自分の色を更に美しく見せるための努力でないと、せっかく生まれ持った綺麗な色が違う色によって淀んでしまう事もあるのではないでしょうか?


僕たちは皆大丈夫
僕たちは自然と光を放つ存在であり
何一つ無駄なことはなく、素晴らしい存在なのだと強く思う気持ちを持ってみて下さい。

この世の中の装飾品の一つ
いいじゃないですか!?
とっても素晴らしい存在なのですよ。


今のままでオールオッケー👌
全てが最高!

それが僕たちなのです

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