視力が悪くてよく見えない。世界もきっとぼやけている
最近なんとなく思うんだけど、世の中ってよく見えている様でぼやけて見えるよなって思う。
ぶっちゃけると、二次元、三次元ってあって、怖い話になるけどそこら中に幽霊がいて、彼らが普通に生活をしているわけでしょ。でも大概の人って幽霊が見えない。普通に外を見れば何の変哲もないじゃない。でも幽霊のいる世界と、僕たちの現実があってそれが交わっている。僕はそういう話には詳しくないから、踏み込んだ事は言えないけど、三次元の僕たちの世界と重なるように、別次元の世界がある。
ゲームや物語で言えば裏世界みたいなものか。表の世界しか見えなきゃ、裏の世界なんてあるなんて思わないけど、もしそれが普通に見える世界ならば、いかに世の中って視界がボヤけさせられているんだなと感じると思うんだ。
で、それらをボヤけさせる要因って、普通という常識や、科学等でのビシッと確証を得た何かが「そんな目に見えないものを信じるんじゃない」と言うものだから、僕たちは見える見えない以前に、そんな事を考えるべきじゃないよなってなってしまう。
でも世の中の真実を探ろうとか、何故今世の中はおかしいんだろうって人々が薄々考え始めて、今見えている世界って実はおかしいんじゃないのって結構アチラコチラで言われ始めている。
それを常識として守っていた人々は、バグだと決めつけて、最悪は排除せよ!!って動く。「駄目だ!!見てはいけない。見ようとしてはいけない」って。
実際世の中ってゲームと同じなので、何かしらの抜け道というか、楽にクリア出来る方法は一応はある。でもそれをすると警告を食らって、最悪は酷い状況に陥るので、それは辞めとこうねって念を押される。
壁を乗り越えないでねとか、ぶち破って出ようとしないでねみたいな。
僕がその説に対してなるほどなって思えた小説があって、今の話しを結構具体的に面白い物語にした、貴志祐介さんのクリムゾン迷宮がある。
僕はこれ大分前に読んだから、主要部分以外の話しを覚えてないので、また読み返そうと思ってるんだけど。
結局僕たちの生きている世界も、簡単に言えばこれと似ている。
結局何かに監視されて、管理されて、自由でありながら自由ではない。現実という幻想を見せられながら、生きていく為に人は模索し続ける。生きていく為の術や、生きていく為にコミュニティを作ってどうにか生き延びようとする。
魂というプレイヤーの核も、結局は何かに管理されていて、自分の意志で動かしているという真実も少し怪しい。実は世界を飛び越えて、宇宙規模で考えてみれば、僕たちもまた世界という物語を遊ぶプレイヤーのキャラクターであり、自分自身の意志という概念ももしかしたら架空のものでもあるのだろうか?
そしてそのボヤけた視界を明確に出来るメガネを僕たちがかけてしまった場合。僕たちは果たして何を見ることになるのだろう。
世界の何処かに見えなかった壁があり、次元を超えた何かが出入りする。その歪みを見た場合、僕たちはどう感じる事になるのだろうか?
僕たちが見ている世界。果たしてそれは世界を100%だとすると、何%位のものなのだろうか?
果たして僕たちは世界を本当に真っ直ぐ見つめられているのだろうか?本当は曲がりくねってはいないのだろうか?
世界は不思議なことばかりだ。だから世の中には常に不可解なことばかり起きる。
きっときちんと世界を眺めたならば、きっと世界はバグだらけなんだろうなぁ…。
でも僕たちはそれを見ることができない…。凄く不便だ…